ドタバタ

 クレディ・スイス証券チーフ・マーケット・ストラジストの市川眞一氏は、その著書『政策論争のデタラメ』(新潮新書)のなかで、デフレ経済を次のように説明しながら警鐘を鳴らしている。

 「経済学で、個々の行いは正しくても、集団で行われた場合に問題の生じる行動を『合成の誤謬(ごびゆう)』と言う。たとえば、歩行者天国で猿回しを観る場面を想定してみよう。幼児が見えないと泣いたので親が肩車をする。しばらくその子は他の子より見やすいだろうが、周囲の親が全員を肩車すると、結局、疲れるだけで誰にもメリットはない。
 同じように、『倹約』や『貯蓄』は、ミクロ経済の観点からは正しいが、国民全体が倹約と貯蓄を励行した場合、需要が減少して国の経済はデフレに陥る。
 国の政策が『倹約と励行』を国民に求めはじめるのは危険な兆候だ。特に、科学的根拠のない精神論が台頭してきたら最悪だろう。その典型例は、太平洋戦争の標語、『欲しがりません勝つまでは』である」

 なるほど。デフレに円高が影響して、物価が下がったように感じられるが、そのための合理化の下、リストラ等が進むのだとしたら、300円弁当を素直に買って、喜んで食べる気にはなれないよナ。
 来るべき2010年は、いったいどんな経済状況になるのやら、考えただけでも「ぞっ」としてくる。

 「ぞっ」とすると言えば、先ごろ、小沢一郎幹事長率いる民主党の大訪中団御一行が、挙って中国の胡錦濤国家主席と満面の笑みを浮かべて記念写真に収まる姿がテレビに映し出された。ご覧になった方もさぞ多かったかと思うが、あれを見て、まさに朝貢外交だと「ぞっ」としたのは、私だけだったかしらん。
 いったい何時から我が国は、あれほど中国と親密になったのだろうか。もちろん隣国と友好関係を結ぶのは歓迎することだけど、それには経済水域、人権、歴史認識、靖国など互いに話し合わなければならない課題が山積されたままだと思う。
 その中国は、現在コペンハーゲンで開催されている国際的な地球温暖化対策を話し合うCOP15で途上国側に立ち、日本、米国を一方的に非難し、政治合意案の議論さえままならない状態にしているのだ。
 また、14日には、周近平国家副主席が来日、慣例を破ってまで天皇陛下と会見をした。
「小沢幹事長は、日本国憲法に沿って『天皇陛下の行為は内閣の助言と承認で行われるのだから、何も問題ではない』と嘯くが、会見することは国事行為ではあるまい。あくまでも都合のいい解釈で、明らかに天皇の政治的利用だ。強い憤りを感じる」と、我が主人、衛藤晟一参議院議員は早速行動を開始し、真・保守政策研究会(会長・安倍晋三元総理、衛藤晟一幹事長)の緊急総会を開催、神道政治連盟国会議員懇談会(会長・安倍元総理)、日本会議国会議員懇話会(会長・平沼赳夫衆議院議員)とともに「政府による天皇陛下の『政治利用』に断固抗議する」声明文を発表した。
 声明文では、周近平中国国家副主席と天皇陛下が会見されることになったのは、「一か月ルール」という慣例を無視した政府の強い要請によるものと断定したうえで、天皇陛下の外国要人とのご会見は、その国の大小や政治的重要性を超えたところで行われるものであり、そこに政府の政治的要請を持ち込むことは、天皇を政治的に利用しようとするものであり、憲法上からも断じてあってはならないと指摘した。
 さらに、その背景にあったのは、総勢600人を超える民主党訪中団を率いて中国を訪問する予定だった(実際に訪問した)小沢民主党幹事長に対し、中国側の異例の大歓待を引き出すための何らかの先方との約束があり、それを自らの政治的影響力の顕示に利用したいとの政治的意図があったことは想像にかたくないとし、鳩山由紀夫内閣に①明日の天皇陛下と周近平副主席の会見を即時中止せよ②鳩山首相はこの重大な過ちを認め、即時内閣を総辞職せよ―と要求した。
 早速、取りまとめた声明文を手に、官邸に申し入れたのだが、予想通り政務多忙により面会を拒否されてしまった。「友愛」の政治とは、こういうことを言うのだろうか。無論、こんなことでは挫けない主人らは、今後も公の場で追及していく構えだ。

 それにしても、同盟国・米国には、普天間基地移設問題で結論を先送りにしておきながら、対中親善政策を進める政府・与党三党の行動が、どのように映っているのだろうか。
 年末にかけての平成二十二年度予算編成を巡るこのドタバタ劇は、さらに凄まじい。「国民の要望」などと詭弁を使い、ガソリン暫定税率の維持や子供手当の所得制限を政府に申し入れた小沢民主党の無節操ぶりには今更ながら改めて呆れ返った。自公政権の下で税率維持の法案を廃案に追い込んだのは民主党だろ。「国が子供を育てる制度」と断言して、決して所得制限はしないと言い切ったのは鳩山総理と長妻昭厚労相だったでしよう。そもそも、「予算は組み替えれば十分に財源は足りる」とテレビで豪語し続けた藤井裕久財務相はどうしちゃったんだろう。本当は高速道路の無料化に反対だったんですよね前原誠司国交相。挙句の果て、スパコンの研究開発費の復活を受けて、予算の事業仕分け作業に携わり、世界一を目指す必要性を否定して廃止の判定を下した参議院議員の蓮舫先生にいたっては、某テレビ局のインタビューに「予算の復活は、政府三役の英断です。是非世界一ではなく世界最高のものを作っていただきたい」と言うようなコメントを、どこ吹く風と言わんばかりの顔でぬけしゃあしゃあと喋っていた。こんな不誠実な態度や、軽い言葉の政治家は、さすがの自民党や自公内閣でもいなかったと思うけどナ。
 
 大魔神だって乙女の涙で目覚めたんだもの。
 民意の声よ、そろそろ自民党を目覚めさせないと、この国は本当に沈んじゃうぞ!!


 本年も大変お世話になりました。
 来るべき2010年が、我が国と皆さまにとりまして飛躍の一年になりますよう衷心よりご祈念申し上げます。良いお年をお迎えください。
我が主人、衛藤晟一参議院議員の愛車「アルファード」号

民意

  早いもので一年を振り返る時期になった。今年最大の出来事は、何といっても政権の交代だった。民意で自民党は敗れた、ということになるのだろうが、その民意とは一体何なのだろうか、最近つくづく考えさせられる。
 
 普天間基地移設問題を沖縄県民に問えば、「県外移転」との答えになるのは当然のこと。それは基地だけの問題ではない。原発、産廃処理施設など近代生活を営み、その関連として生じる、いわば負の部分の受け入れを望む国民など、日本全国を見渡しても皆無に近い。民意とは自由、言い換えれば自分勝手ということで、ファミリーライフのみを優先すれば、国家のことは誰が考えるのか。民意の「必要とするもの」は、国家の「善いもの」とは限らない、と民主政治を否定して哲人政治を説いたのは、あのプラトンだったっけ。そういえばソクラテスは、民意で処刑されたんだよな~。

 九日間に及んだ政府・行政刷新会議の2010年度予算概算要求についての「事業仕分け」が終了、廃止や計上見送りと判断された事業や、基金・特別会計など国庫へ返還を求めた、いわゆる「埋蔵金」の合計は、約1兆8.000億円に上った。
 連日新聞紙面を賑わした「事業仕分け」は、特にスパコンなどの科学技術関連、防衛関連予算等の取捨をめぐり、意見は過熱した。報道によれば、この仕分け作業を国民の8割が興味を持ち、高評価したというのだから、やっぱり「民意」は、良く分らない。
 そもそも国家観のない政権が、経済戦略のないままに、誰が、何の責任で、何を基準に決めたというのか。「小沢人民共和国の人民裁判が、役人を吊るしあげることで国民から拍手喝采を浴びる、そんなテレビのワイドショー」よろしく映ったのは、私アルファード号の車内テレビだけだっただろうか。

 ちなみに、11月29日付の産経新聞1面のコラム「古典個展」に、立命館大学の加地伸行教授は「民主政権は小心者の集まり」と題し、興味深い文章を執筆しているので紹介させていただく。
 『前文略―事業仕分けの人たちは、団塊の世代の少しあと。おそらくは団塊世代の気分。当局の各省庁は教授会か。議論は、善きことは問わず、悪しきことばかりの審問。まさにこれは大学紛争時における、学生集団と教授会との大衆団交の再現ではないのか。このような<暴力>による獲得からは、建設的なものは何も生まれない。生まれるのは荒涼とした風景だけであり、騒いだ連中は消えてゆく。無責任のまま。
 このような<暴力>が横行するのは、どこかにそれを促す独裁権力があるからである。民主的な発言からではない。
 その独裁権力とは、小沢一郎幹事長に他ならない。今の民主党ならびに民主党政府は、だれが見ても小沢一郎独裁である。
 独裁者の本質は、小心者であることだ。小心だから他者からの批判は認めない。どころか、その他者を恐れて憎んで排除する。そこで小心者リーダーの下には必然的に憶病な小心者が集まる。その典型が鳩山由紀夫首相だ。
 首相の発言には、まるで自分というものがない。自分で決めることがない、いや、自分で決める能力がない。すべて他人まかせである。整理することさえできない。これほど無能な首相はないのではないか。その極致は、自民党原因論である。国会での所信表明演説のあと、谷垣禎一自民党総裁の質問への答弁で、今日の政治の困難はすべて、従来の自民党政治が原因だとした。悲劇的かつ喜劇的答弁であった。旧政権の欠点に対して新政権の自分たちは新しい政策で是正していくのだ。それを具体的に言い切って示してこそ新政権の宰相たりうるのだ。それを他者のせいにして、何の新政策も示しえないのでは、国民はたまったものではない。以下文略』

 一等賞を目指す努力を、否定してしまうようなこの国の民意たるものは、いったいどこまで脱落すれば、事の重大さに気付くのだろうか。