鹿と馬

   文豪・池波正太郎の時代小説「鬼平犯科帳」のドラマで、主演の火付盗賊改方長官・長谷川平蔵宣以を演じる中村吉右衛門は、今も親しまれている池波作品の魅力を、ある雑誌でこう紹介している。
 「すべてを『法』という杓子定規で量るのではなく、『情』で推し量れば、どちらがよい人でどちらが悪い人か、さらに悪人と思っていた人かいいことをしたり、善人と思っていた人も悪いことをする。そうした普遍的な人間の業の深さが描き込まれているので、未だに先生の作品が読まれているのだと思います」
 法と情のさじ加減は、何時の時代も難しいものなのだろう。

 そういえば、かつての中国にこんな逸話がある。
 秦の権力者であった丞相・趙高(宦官)は、ある日、二世皇帝・胡亥に「馬でございます」と言いながら、鹿を献上したという。「馬だと? これは鹿ではないか」と憤慨した胡亥は、周囲にいた側近に「あれは鹿であろう」と尋ねる。すると側近は、皆眉をひそめ「あれは馬でございます」と答えたという。
 さすがの「お飾り皇帝」も、趙高という真の独裁者の恐怖政治ぶりを目の当たりにして、さぞや背筋が凍りつく思いをしたことだろう。
 このことが「馬鹿」の語源になった(出典は史記)という説もある。

 なぜ、こんな話をしたかと言えば、新年早々連日新聞紙面を賑わせている鳩山由紀夫総理と小沢一郎民主党幹事長の政治資金の不正疑惑について、何とも理解できない点が二つあるからだ。
 まずはその情報源。取り調べや捜査でしか知り得ない事柄が、連日のように小出しに、あたかも地検特捜部がリークしたとしか考えられない方法で流されている。決して民主党の肩をもつ訳ではないが、マスコミを使って世論を形成しようとする国家権力の手法には、甚だ疑問を感じてしまう。
 さらにもっと驚くことは、この件に関して大多数の民主党議員がダンマリを決め込んでいることだ。党内の自浄努力なんて、あったもんじゃあない。記者会見で盛んに恫喝する時の権力者に迎合して、長年の夢であった政権、与党という地位にしがみ付こうという姿勢で、「国民生活が第一」などと嘯くこんな集団が、この国をいったいどういった方向に導くというのだろうか。  
 決して馬と鹿の逸話は、中国の故事と笑えまい。

 さあ、18日からいよいよ通常国会が始まる。
 自民党は自信をもって臨むことだ。あれだけの大敗を喫したんだもの、そんな簡単に立ち直れるわけはないじゃあないか。まずは保守の原点に戻り、理論を再構築することだ。そのためにはもっと血を流すことが必要だな。そもそも「右から左までウイングの広いのが自民党」なんて言うのは間違っている。保守政党に左派なんかいらないんだから。
 レギュラーの若返りも当然だ。監督が代わっただけでチームの強化はできない。思い切った新戦力の抜擢、育成それがどの世界でも強い組織を作るためには必要なんだ。ベテランには代走、代打、守備要員など、チームの一員としての仕事がある。そういった総力戦になってこそ、自民党の歴史が重みを増してくるはずだ。
 党のために苦言を呈すのは、愛情表現のひとつだと思うが、罵倒するのは頂けない。批判からは何にも生まれやしない。何時の世も自分の事しか考えない輩はいるものだよ。そういった議員はさっさと削って、スリム化した真の同士だけが未来を築けるものと信じることだ。
 そんな自民党になれば、民意は必ず目覚める。
 今は人の和、地の利をつくるとき。やがて天の時が訪れるはずだ。
 頑張って下さいよ!! 我が主人、衛藤晟一参議院議員。
 

カサブランカ

  謹賀新年。本年もどうぞ宜しくお願いいたします。
 今年は参議院選挙の行われる年。(本当に毎年何らかの選挙があるよナ)失うものが何もなくなった自民党にとっては、再生をかけた勝負の年だ。再び躍進するのか、それとも消滅するのか、真価はここで問われる。

 どこへも行かず、寝正月を決め込んだ私。もっとも例年この時季、我が主人、衛藤晟一参議院議員は、出身地の大分に帰郷中で、私は麹町の議員宿舎のガレージの中、ひっそりと新年を迎えている。多忙なのは地元のアルファード君。(主人は、地元でもアルファードに乗っている)元旦から、やれ新年会、互礼会と大忙しだ。くれぐれも安全運転で頑張ってくれよ。

 それにしても近年、暮れから正月にかけてのテレビ番組ほどつまらないものはない。制作費の関係とはいえ、たいして芸のない三流のタレントが、身内話に終始して、自分達だけで受けているさまが垂れ流される画像は、見る方にはたまったもんじゃあない。Y興業が日本の文化を壊している―という声も、まんざら穿った見方ともいえまい。

 ということで、寝正月族にはレンタルビデオが大流行りだそうだ。じっくり名作を鑑賞するには、もってこいの時間ということだ。
 先日は「カサブランカ」を観た。ご存じの方も多いだろうが「カサブランカ」は1942年にワーナーブラザースが制作、翌43年にアカデミー作品賞及び監督賞をとった不朽の名作だ。実は私がこの映画を観るのは、人間の指では数え切れないほどの回数になる。

 米国に亡命を図る欧州人の寄港地である仏国領モロッコの都市・カサブランカを舞台に、酒場を経営するリック(ハンフリー・ボガード)と彼の昔の恋人・エルザ(イングリッド・バーグマン)、エルザの夫で反ナチス運動の指導者・ラスロ(ポール・ヘンリード)との三角関係を描いたこの映画は、さしずめメロドラマの金字塔ともいえる作品で、なかでも、エルザを忘れられないリックが、ナチスの目を盗んで、二人を米国に亡命させるラストシーンは、これでもかというほどに男の哀愁を漂わせ、見る者を感動の嵐に引きずり込む。
 何度見てもこのシーンは、涙なくしては観ることが出来ない。
 強くて、優しく親切で、精悍ななかにも暗い過去をもち、精一杯突っ張るリックの生きざまは、今の時代の男が失ってしまった真の「男らしさ」が何かを、教えてくれるような気がする。

 そんな男らしさ、特にその引き際を、政治の世界に求めたって、無理なことは分かってはいるんだけどナ。

 今年は、どんな一年になるんだろうか。