政治家のレベル

  「正義を望むなら出世することだ」。1997年に放映されていた人気テレビドラマ「踊る大捜査線」で、故いかりや長介演じる老刑事が主人公の青年刑事・青島(織田裕二)に、こう諭す場面がある。自分自身の希望を叶えるためには、それに相応しい立場が必要ということなのだろう。学生時代は努力だけで済まされたことも、社会という現実には、それだけでは歯が立たない物事がある。それを知ったときに、初めて大人の仲間入りをするのかもしれないが…。いずれにしても民主主義は、権利を平等に与えても、権力は誰でも同じというわけにはいかないものなのだ。

 来る参議院選挙に向けて、各政党のマニフェストの骨子が見えてきた。だが政治とカネ、普天間基地問題に見られるように、ここまで信用を失いかけている政治家の言葉や約束に、どれほどの国民が期待を寄せるのだろうか。現政権の迷走振りを見るにつけ、腹立たしいというよりも情けなくて悲しくさえなってくる。この国は、いったいどうなってしまうのだろうか。

 民主党のマニフェストには「企業、団体献金の禁止」という項目がある。政治家が政治活動を行うには、それなりの経費が必要だ。その金額については一概に言えることではないのだが、きめ細かい活動を望めば、より経費が掛かることには反論する余地は無いだろう。仮に献金する側に利益誘導を望む不正の意図があると疑えば、企業、団体献金だけでなく個人献金だって基本的には同じようなもの。だとすれば、大切なことは献金が悪ということよりも会計の透明性と政治家のモラルの問題で、単に禁止してしまえば、政党丸抱えの人間(すべてを国費で賄う)か資産家以外、政治家にはなれないことになってしまう。
 
 我が主人、衛藤晟一参議院議員を例に挙げれば、それは明らかなことだ。主人が国から頂いているのは、一定の政党助成金(自民党の場合、平成21年は総額1.400万円)、文書通信費(月額100万円)に議員会館の事務所(電気、水道料金は無料だが、電話代は03圏内以外実費)、3人の公設秘書、それに僅かな交通費(航空、鉄道のクーポン)くらいなものだ。それ以外の地元を含む事務所、乗用車の維持費、私設秘書の給料、上京時の宿泊費(議員宿舎)、印刷、郵送などの事務経費、ほぼ毎週組まれる地方出張に係わる諸経費(交通、宿泊)、各種会合費、さらには選挙対策費などはすべて自前で、大部分は政治団体の支出になる。その額は年間で約1億円。当然公費で足りないところは、献金という浄財で賄われている。この金額は、他議員と比べ、格段に多い額とはいえない(政治団体の収支報告は、常時閲覧できるので調べていただけば分かるはずだ)。つまりどの事務所も内情は火の車。政治家すべてが脱税王や不動産王と思っていただいては大間違いなのだ。
 
 さらにもう一つ触れさせていただけば、国会議員の定数削減(これは自民党のマニフェストにもある)にも疑問点がある。定数削減の真の目的は何なのか。歳費の削減という意味だけは理解できるのだが、今のままの選挙制度で削減だけすれば、全国的な著名人か資産家、或いは出来もしない約束を吹きまくる詐欺まがいの候補者しか当選できまい。それは現在の政治や報道の有様を見れば想像に難くない。地味な努力家や、国民に真実を語る議員ほど資金は乏しく選挙は弱いものだ。そうなっては国民の真の声が政治に反映されるだろうか。最悪の場合は、僅かな経費を惜しんで国滅びる、何てことも無いとはいえまい。国会議員の定数問題は、是非とも選挙制度とセットで議論していただきたいものだ。

 「政治家のレベルは所詮、国民のレベルでしかない」。私ども政治に係わるものがこういっては、天に唾をするようなものだが、あえてお許しいただければ、ぜひ皆様に考えていただきたい。戦後の自民党政治を酷評しても、今の民主党政権を蔑んでも、選択したのは国民の皆さんだ。その責任は必ず、皆さんに及ぶことになる。ギリシャの財政破綻はじめタイの政権不安による暴動、イラン、北朝鮮の核武装化しかり。今の世界情勢を見てください。政治は遠いところのもので、「平和が当然」などと浮かれているのは、我が国の国民だけのような気になりませんか。