衛藤晟一議員、谷垣総裁と8月15日に靖国参拝


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 衛藤晟一議員は自民党地方組織・議員総局長として、谷垣禎一自民党総裁に同行して8月15日、靖国神社に正式参拝をした。衛藤議員は「今の日本があるのは靖国の英霊のおかげ。にもかかわらず菅総理はじめ閣僚は全員参拝しなかった。同じ政治家として、否、日本人として恥ずかしく、悲しい。このままでは英霊に顔向けできない。英霊が見て喜ぶような日本にしていかねば」と改めて誓った。

政策より、まずは国家観

 先日、支援者からご両親の介護に関する相談を受けた。要介護5で認知症の父親と要介護3で車椅子の母親を40代の夫婦が小学生の子供2人を育てながら介護しているそうだ。「ここまで頑張ってきたけれど女房の苦労ももはや限界。このままでは家庭が崩壊してしまう。施設を探しているのですが私の収入では高額なところはとても無理。市に問い合わせて近隣を中心に探していますが、良くて向こう数年待ちと言われてしまいました。どうすればいいでしょうか」。友人の声は暗い。
 
 介護の基本は家族だ。しかしそれには限界がある。介護のために家族が崩壊してしまっては、それこそ意味がないからだ。そこで地域や社会がともに助け合うことが必要になる。つまり地域の中に溶け込んだ施設が、家族の負担を軽減させ、地域社会のなかで家族が核となって介護生活を送れるようにする、これが理想だ。だが現実は難しい。施設や介護従事者の絶対数不足は財源の問題か、それとも一向に進まぬ対応は行政の無作為によるものなのか、どちらにも原因があるのだろうが、その場に自分自身が直面しなくてはすべて他人事のように素知らぬふりをする国民が多いことも、悲しいかな今の日本の福祉の現実なのかもしれない。

 さて、民主党の代表選挙に一言。報道によれば、政策の争点は①大震災の復興②財源を含めた増税の可否③崩壊したマニフェストの対応④大連立の是非―といったところらしいが、ちょっと待った、政策以前の問題があるでしよう。当面立候補が取りざたされている5~7人の候補者の誰に次期総理の器に値する人物がいますか。
 まず世論調査で常に上位のM先生は国交大臣時代に、尖閣、ダム、日航の諸問題で大風呂敷を広げたまま、すべて尻切れトンボで終わらしてしまった方。挙句に外国人からの献金を自ら認めて自爆したのは皆さんご承知のとおり。ほかにも大臣在任中に問責決議を可決された先生や、泣くことで何を訴えたいのかさっぱり分からない先生も問題だが、それより何より、みんな菅総理に不満を持ちながら保身を貫き、裏で陰口を叩いていた方ばかりじゃあないですか。そんな先生らが手を挙げて「私なら出来ます」なんて言っても首をかしげたくなるのは、私だけでしょうか。

 野田佳彦財務大臣の「わが政権構想」(文藝春秋9月号)を、オヤジ(衛藤晟一参議院議員)と一緒に拝読させていただきました。正直、ガッカリした。オヤジも「まるで財務省の課長が書いた文章のようだな…」とポツリ。野田先生には日頃から「民主党の中でも数少ない保守の理論をお持ちの先生」と期待していただけにオヤジの落胆も大きかったようだ。
  「財政、エネルギー、日米外交などの政策は分かった。だが、一番知りたかったのは、日本をどういう国にしたいのですか―ということ。国民の大多数は『国民生活が第一』という民主党の甘く耳触りの良い言葉に騙されたことをすでに気付いている。民主党には基本的に国家、国民という概念が欠けている。ただ個人へバラ撒くだけの政権公約、さらには外国人からの違法献金や極左団体への異常な資金援助等これら売国奴ともいえる行為に代表されるように、実はこれらは決して菅直人個人の問題ではなく、民主党その本質に問題があると思わざるを得ない。つまり民主党はこの国を破壊することだけが目的、そう思われてもいた仕方ない政党じゃあなかろうか。政権公約が破綻したいま、本来なら解散総選挙で国民に信を問うのが正論だろうが、残念ながら私たち野党にはその権限がない。ならば最低でもこの代表選で、民主党の国家観を国民の前に明らかにしてほしい」

戦後レジームからの脱却

 EUの景気の不透明さに加え、米国のデフォルト、債券暴落の不安からか急速な円高が襲って来た。ただでさえ地震、津波、原発事故に加え、エネルギー不足、食の不安、集中豪雨など次々に押し寄せる国難の中で復興を目指す我が国には、またひとつ頭の痛い材料が加わった格好だ。

 さて菅政権。いまさら、非難することすらアホらしく思えてくる。そもそも、国民からの信頼をまったく失っても開き直る頭(かしら)も頭だが、己の保身を優先するばかりに猫の首に鈴さえ付けられない上層部、兵隊たちは、考えようでは頭よりももっと罪は重い。今ここに至って、マニフェスト変更の賛否、増税の良し悪しで党内抗争している場合か。元々民主党政権の公約の大義は、予算の組み替えで16兆円余りの財源が確保できることにあったはずだ。それがバラ撒きマニフェストを実行に移せる唯一の言い訳だった。そして大多数の国民はそれに騙された。我が国の悲劇の一端は、ここから始まっていたんじゃあないか。

 「いや、民主党そのものの体質に大きな原因がある」と、オヤジ(我が主人、衛藤晟一参議院議員)は言う。
 「市民運動、左翼運動出身者の基本的考えは、地域であり市民なんだ。国家や国民という大切な視点が欠落している。確かに地域や市民と言う言葉は、平和で平等な響きがあり、一方国家、国民という言葉には戦闘的で軍事的なイメージを受ける人が多いだろう。これは戦後の我が国の教育に大きな問題があるのだが、その話は別として、じゃあ今我が国が対峙している国難の数々は、地域、市民の問題で解決できることだろうか。民主党の一番欠けているのは国家観だと思う」。

 「戦後の日本は民主主義国家として大きな経済発展を遂げた。一方失ってはいけない大きなものが崩れていってしまっているようにも思う。自主憲法の制定、領土問題、教育問題などどの問題一つとってみても本来の独立国家の有るべき姿としては極めて疑わしいのが我が国の現状だ。自分だけ良ければそれで良いといった一国平和主義、何かと言えば権利ばかりを主張し、挙句に後始末だけは国家に押し付ける。そういった意味では戦後、我が国が歩んだ民主主義の大成が、ひょっとして皮肉なことに今の民主党を作ってしまったのかもしれない。もしそうならば、その一端を担いだ自民党の責任も大きいな」。オヤジの口調は重い。

 先日の創生「日本」東京研修会で挨拶に立った安倍晋三会長は、自らの主張する「戦後レジームからの脱却」というフレーズに触れ、次のように話した。
 「福島第一原発では、何とかしようと被爆覚悟で自衛隊や消防、警察や現地の職員の皆さんが任務を遂行した。多くの日本人は、その姿に胸を熱くした。戦後私たちは、価値の基準を損得に置いて来たのではないか。学校でも人のために、国のために、命を懸けるのは馬鹿だ、という考えが覆っていた。彼らの行動は、損得を超える価値があることを示したのではないか。それは、家族や郷土やかけがえのない祖国を守るためだ。時には、命を懸ける人がいなければ、大切な家族や郷土や祖国を守ることが出来ないという事実を、彼らは示した。戦後レジームからの脱却とは、突き詰めて言えば、命を懸けても守るべき価値の再発見・再認識ではないかと思う。子供たちに、日本の素晴らしさ、守るべき価値を教えていきたい」と。
 捨てる身を持たない民主党議員は、何と聴くだろうか。