税と社会保障の一体改革③

 ついに税と社会保障の一体改革の法案が衆議院を通過した。予想通り(?)与党・民主党から57人の議員が採決で造反した。マニフェストの絶対厳守が国民への大義なら、この行動の正当性は十分にある。マニフェスト詐欺の十分な謝罪やけじめを付けぬまま、なし崩しに国民を裏切り、挙句、語気を強げ一見情熱的に見えても何の中身もなく、自らの正当性だけに酔いしれる代表(野田佳彦総理)並びに執行部には、何の言い分があろうか。
 
 しかし、元はと言えば政権交代時の総理は鳩山由紀夫先生であったし、幹事長は小沢一郎先生であった。その方々が行ったことはどうだったのか思い出してほしい。意味不明の浮ついた言動を重ねて国益を損ね、片や陳情その他で恐怖政治を行い、真っ先に国民からの信頼を裏切ったA級戦犯ではないのか。
それが今更、身内に弓を引いたのでは、正義など欠片もない。40数人の同志の血判状(離党届)を胸に、公儀の沙汰を待つ小沢先生の姿は、さしずめ忠臣蔵の赤穂浪士・大石内蔵助にも見えよう。が、そこには庶民の胸を打つ真摯な直向きさが感じられない。前原誠司先生の言葉を借りるまでもなく「国民の将来を考えるより、常に権力闘争に明け暮れ政局に繋げる」魂胆があからさまに見える。今となっては浅野内匠頭や大石の胸の内を伺うすべを持たないが、一瞬でも鳩山、小沢両先生とダブらせたこと自体、自分を恥じなければならない。国民の税や社会保障を政局に利用するなんて反吐の出る思いだ。

 ところでこの日、経団連の大物、M氏と会談する機会に恵まれた。M氏は「結論を出す政治は大切だ。何れ消費増税は避けられない」と、法案可決に一定の理解を示した後、こう続けた。
「社会保障、財政再建を増税だけに頼ることはできない。消費税だけに頼ればすぐに20%を超えてしまうだろう。だからどうしても経済の成長戦略が必要だ。それには①イノベーションと②市場の拡大が大切だ。関税がなくなれば国際市場が国内と同じ土俵になる。今のままでは対欧州にしても家電、自動車は韓国に比べ10~20%の重い関税が強いられている。これでは勝負にならない。FTAやTPPを積極的に考えなくてはならないだろう。一方、保護しなくてはならないものもあるのは事実だ。農業はその一番手だ。食糧安全保障や環境、地域社会の面からも保護すべき重要な産業だ。それは個別で保証していけばいい。規模の大きい農家にとっては関税がなくなれば、国際的に十分に勝てる優秀で安全な農産物を輸出できる機会にもなる。政府の政策次第だ」。
 これを正面で頷きながら聴いていたオヤジ(衛藤晟一)は「経済の成長が最も大切なのは、私も同感です。それには金融緩和に加え思い切った財政出動も必要でしょう。そして大事なのは労働賃金への還元です。国民が豊かさを感じ消費増大に繋げなければ景気浮揚は実現しません」と、企業側の姿勢を伺うと、M氏は「その通りです。そのためには雇用の拡大が一番。これと並行して賃金を上昇させたい。そのためにもしっかりした政策を政府には期待しているんですけどね」。政局に明け暮れる政界を想ってか、ため息交じりにこう締めくくった。

税と社会保障の一体改革②

 内閣改造が終わりいよいよ終盤国会の佳境を迎える。
 未来に安心できる社会保障と税の改革のための消費税率の見直しは、すべての国民がある程度は納得できているものと思う。しかし民主党案への批判は強い。
 
 根底にはまず消費増税が、マニフェスト違反という大きな嘘のうえに成り立っている政策だということ。また重要なことは、東日本大震災、超デフレ経済の下、ここで増税をして本当に日本経済は大丈夫なのかという基本的な疑問。さらには、民主党の社会保障改革自体の未来像がまったく不透明なことなど、数え上げれば枚挙にいとまがない。
 そうなると、民主党内で消費増税に反対を唱える小沢一郎先生グループの論理が、一見的を射ているように見えるのだが、これがまた余計に混乱を招く結果に。そもそも政局を中心に絶えず数の理論を展開する小沢先生が、本当にご自身の言われるとおりの一兵卒というのなら、どうして最高司令官と軍令に真っ向から反することが出来るのか。ご本人の好まれる組織の理論を御自身が否定しているのではないか。党内での意見集約時に何らかの行動を起こすほうが、国民には分かり易かったと思うのだが。
 
 一方、野田総理も野田総理だ。「乾坤一擲」なる言葉を使い己を奮い立たせて、小沢先生との会談に臨んだようだが、乾坤一擲なる意味を本当に御存じだったのか。 
 乾坤一擲は、あの劉邦が項羽と雌雄を決する最後の戦いに向かう姿勢を追懐したものといわれ、西洋では古くにローマへの進軍を決意しルビコン河を渡ったシーザーの「賽は投げられた」と同じ意で使われ、どちらも「のるかそるかの大一番」というものだ。
 さしずめ日本でいえば織田信長の「桶狭間の戦い」や徳川家康の「関ヶ原の戦い」のようなもので、二度とない決死の覚悟を表すものでなければならないはずだ。
 それがどうだ。会談は二度に渡って、それも何のためにもならない仲介者を入れて行われたようで、まるで真剣を戦わせた形跡などみじんも感じさせなかった。どうやら、総理はご自身の博学と雄弁さに酔いしれて、自らを希代の英雄と錯覚しているのではないか。
失礼だが一般人の感覚ではそんなようにしか見えない。

 ではどうすればいいのか。それは正論をもって国民に信を問うのが一番だ。社会保障を含めた日本の未来を誰に任せるのか。野田民主党か、小沢グループか、それとも橋下大阪維新の会なのか、自民党なのか。「国民生活が第一」ならば、いまこそその主役の国民に信を問うべき時ではないのか。