当選御礼 ~ 更なるステージへ

 当選御礼 自民党総裁選は、安倍晋三議員が決選投票のすえ石破茂議員を破り自民党の新総裁に選ばれました。
 同志の皆さまからは絶大なるご支援、ご声援を賜り誠にありがとうございました。厚く御礼申し上げます。
 
 オヤジにとって悲願だった安倍新総裁の誕生。
 振り返れば昭和58年、大分1区から初めて衆議院選に挑んだオヤジは苦杯を喫し3年間の浪人生活を味わった。その間物心ともに支えてくれたのが安倍晋太郎先生、そう晋三先生のオヤジさんだった。
 その後平成2年に初当選。晋太郎先生を支持し、恩返しと共に晋太郎総理をめざしたが、間もなく晋太郎先生は志半ばで病魔に倒れ帰らぬ人となった。順天堂大学付属病院からご自宅まで帰られる晋太郎先生のご遺体をピッタリと追走した車中で、号泣していたあのオヤジの顔を忘れることが出来ない。
 平成5年、晋三先生が初当選。その時からオヤジの口癖が「何時か晋三さんを総理にしたい」だった。

 その晋三先生が平成18年に総理大臣に就任。しかしこの時、オヤジは郵政選挙で惜敗し、またまた浪人中の身で、何の御役にも立てなかった。
 平成19年、参議院選挙で総理枠として復党が許され当選。こんどこそ晋三先生の力にと力んだ途端に晋三先生を病が襲ってしまった。
 二代に渡って安倍家の恩を受けながら、手柄ひとつ立てられぬ悔しさを味わう。オヤジと晋三さんには妙な縁があるのかと、つくづく思わされた。

 晋三先生の再起に向けたオヤジの努力はここから始まる。中堅若手の保守の合同を目指し真・保守政策研究会(現在の創生「日本」)を立ち上げていたがリーダー・中川昭一先生の突然の死去でポストが空席になっていた。そこで晋三先生に就任を口説いた。
 「いま貴方は色々悩まれているかもしれない。しかし、総理まで経験させていただいた貴方には、まだ国家、国民のためにやらなければならないことがあるはずだ。ぜひ若手の先頭になって欲しい。若手を伸ばすことが貴方の使命ではないのか。あなたはまだまだ戦わなくてはならないはずだ」と。

 あれから5年。長かったような、それでいてあっという間に時間は過ぎた。今だから言えることだけど「安倍さんの再起? 10年早いわ」と言った著名な女性ジャーナリストがいたっけ…。

まずここまでは筋書きどおり。更なる飛躍は総理大臣の椅子しかない。
 「自民党政権、安倍総理の誕生こそが国家、国民のためになる」
 新たなステージが始まった。

安倍先生に懸ける

 自民党総裁選も四コーナーを回りいよいよ最後の直線勝負に入った。稀に見る混戦が伝えられたが、最後はどうやら1、2着の写真判定にもつれ込みそうだ。
 我が安倍陣営は若干のスタート出遅れから徐々に追い上げ、何とか射程距離に入ってきたように思う。
 党員の多くの皆さまから激励をいただいている。健康を気遣う有難い声援をいただいた。

 先人は我が国を戦後の復興から、GDP世界2位の国家へと発展させた。経済優先が時として弊害を生み出す結果ともなっているが、稀に見る豊かな国家の構築は世界の奇跡ともいえる快挙だろう。
 しかし、ここへ来て経済優先から先送りしてきた数多くの問題が表面化してきた。憲法問題、経済の衰退、教育の腐敗、外交の停滞などなど、まさに国難ともいえる現状は、戦後の日本にはじめて突き付けられた重大な局面と言える。この難局を乗り越え、もう一度「日を登らせる」には、優秀なリーダーの下、国民が一致団結するしかない。

 その指揮官にふさわしいのは決して民主党ではない。今回の自民党の総裁選こそ、真の我が国指揮官を決めるに相応しい戦いだ。
 だからこそ、私たちは安倍晋三先生にすべてを懸けている。
 実績、政治姿勢、崇高な理念、そして何よりも一敗地に塗れ挫折を経験しその葛藤を乗り越えてきた精神力と生きざまは、我が国のあの発展の歴史と同じではないか。日本を再起させうる唯一の存在ではなかろうか。

 我が同志の皆さん。
もう一度安倍先生の下、新しい国づくりを始めようではありませんか。

似て異なること

  自民党総裁選出馬に前向きな安倍晋三、石破茂両衆議院議員を招き領土、外交に関する公開勉強会が6日、衆院議員会館で開かれました。
 一部報道によれば、「両氏の政策には共通点も多く、現状の総裁選立候補予定者が乱立気味であることから将来の連携を模索した動きでは」との憶測が流れているようですが、我がオヤジ(衛藤晟一)はきっぱり否定しています。
 「どの陣営から流れているのか知らないが、政策に似通っているところがあるからといって戦う前から連携を模索する必要性が分からない。各候補ともこれから国家観、政策等を論じていくことによって違いがはっきりしてくる。淘汰されるなり離合集散するのはそれからの話だろう」

 オヤジは今回の勉強会の下準備として、両先生の過去の発言や著作を読みあさっていた。そのなかで、靖国問題、集団的自衛権の行使について石破先生の見解に大きな疑問を抱えていたようだ。それが報道でも紹介されている会場での本人の発言、「大局観があるのか」(日本経済新聞)、「石破先生はその時その時で発言を変えている」(産経新聞)に繋がっている。

 例えば、石破先生はご自身のサイトにこう記述されている。
 『私自身、右サイトからは左だと非難され、左サイトからは右だと非難される立場に居ますが「右にいると真ん中も左に見える、左にいると真ん中も右に見える」ということなのかもしれません。八月十五日が近付くと総理の靖国参拝についてコメントを求められることが多いのですが、もう一度改めて私の考えを述べておきます。国家のために命を捧げた行為がこの上なく尊く、国民すべてが感謝し、御霊の安らかならんことを祈るのは極めて当然のことと考えます。しかし、「先帝陛下がご親拝をとりやめられ、今上陛下もご親拝にならないことをどう受け止めるべきか」について、我々はもっと突き詰めて考えるべきではないかと思っています。日本国と兵士たちの約束は「いかなる兵士も靖国神社に祀られる」「天皇陛下が必ずご親拝下さる」の二点であったはずです。前者は一応果たされているものの、後者は昭和50年11月21日を最後にその後実現されておりません。総理大臣が参拝するか否かはこの約束とは本質的に全く関係のない話で、たとえ総理大臣であっても鳩山氏や菅氏に参拝して欲しいなどと英霊が望んでおられるとは私には到底思えません。畏れ多いことながら、御身心を拝察しながら陛下にご親拝いただける状況を作ることこそ、我々に課せられた課題なのだと思っております。「国家の命により戦地に赴き散華された兵士」と「明らかに勝てない戦争を、そうであると知りながら開始した立場に居た国家指導者」とは明らかに異なると考えており、八月十五日には地元の靖国神社に参拝することと致しております。総理大臣が参拝すべき、との所説の大半を読んだうえで申し上げておりますのでこの問題をこれ以上議論するつもりはありませんが、何人からの方からお尋ねをいただきましたので記した次第です』

 これを読んだオヤジは………?
 「石破先生らしく理路整然とした文章に思うが、基本的な所に疑問が残る。今日の平和の礎を築いた英霊に対し、今を生きる国家の最高指揮官が誠を捧げるのは当然のことで、それが「本質的な約束事とは違う」なんて言う屁理屈で否定されるべきものではないだろう。まして、鳩山、菅両氏の思想、人柄は別として、日本国の総理大臣として参拝されるべきだったし、それを喜ばない英霊などいらっしゃるはずがない。理由はどうであれ国家のために命を捧げた方々を、英霊になられてまでも差別する考えは、我々の保守の考えとは相いれないものがある」
 また、集団的自衛権の解釈にも差異が見られた。
 「安倍先生と石破先生は保守で政策が近い、という人が大勢いるようだけど両氏の発言をよくよく調べると本質的にはどうなのかな……」。