酔っ払い 

  昨日の早朝、日課としている愛犬・莉莉(♀5歳シェットランドシープドッグ)との散歩中に妙な物体に出くわした。丸太のような段ボールのような黒っぽい塊が道路の中央に転がっていた。数人の通行人が心配そうに立ち止まって首を傾げている。普段は無関心を装う私だが、莉莉も首を傾げて立ち止まり動こうとしないので、しょうがないので近づきのぞいてみることにした。

 なんとその塊は人間だった。年の頃なら40代後半、身なりはサッパリしているが決して高級なものは何ひとつ身に着けてはいない。(職業柄こういうところは妙に気になる)ピクリともしない。こりゃあ相当やばいと思った。
 私の隣から覗き込んでいる女性が心配そうに「警察呼びましょうか」と私に尋ねる。一方、あんちゃん風の若者は「大丈夫だよ。寝ているだけだろ。起こしてみろよ」と私に命令口調で促す。「おじさん(俺のことか。お兄さんには見えないか)どうするの? 何とかしないと」と飲み屋のお姉ちゃん風の人にせかされ、頭が混乱してきた。
 『どうしてみんな俺に責任があるように言うんだ。俺だって通行人の一人だろ』とは思ったが、顔ではにやにやしながら清水の舞台から飛び降りたつもりで、「もしもし、大丈夫ですか」と恐る恐る塊に手をかけた。
 すると恐ろしいことに、その塊、右手をおもむろに天に付き上げ、人差し指と中指を突き立てて「大丈ブイ、なんちゃって」とぬかしやがった。
 それでも親切な私は「車道で寝ては危ないぞ」と心にもないことをやさしい口調で注意すると「余計なお世話だ。ここは交通量が少ないんだ。俺はそれを知って寝ているんだ」とほざきやがった。
………。お前なんか引かれちまえ!!

 ところで集団的自衛権の解釈が国民に理解されにくいようだ。個別だろうが、集団だろうが、自衛権に変わりない。自衛権だよ。自国の国益と国民を守ることのみに行使するものだよ。これに反対する国民がいたら会ってみたいものだ。だからこそ何が出来て、何が出来ないのかを今しっかりと協議しなくてはならないんだ。
 でも、本当の緊急事態なんていうのは、想定外で起こるに決まっている。万全の備えをもって時の政府の決断を信頼するしかない。いつの時でも国民にはその覚悟が必要だ。

普通の国

  安倍内閣は1日、臨時閣議を開き集団的自衛権の行使を認めるために、憲法解釈を変える閣議決定をした。これからは各種法整備を進めてゆくことになるが、ようやくこの国も普通の国の議論ができるようになった。

 支援者の皆さんからも、いろいろなご意見をいただいた。
 「個別だろうが集団だろうが自衛権を行使するのに、何が問題なのか」
 「閣議決定だけすれば何でもできるようになるのか」
 「若者を戦場に送るのか」(いまだにこんなご意見があるのには驚いた)
 など心配する声も聞かれたが、「自国を守るための最小限度の行使なら当たり前だ」という意見が大勢を占めた。(総じて我が陣営の支援者は保守が多いため、若干の割引は必要かもしれないが)

 誰だって争い事は好まない。まして戦争で殺し合うことなんてとんでもない。しかし降りかかる火の粉(災い)はどうすればいいのか。話し合えば(外交は大切な手段だ)、神仏に祈れば(宗教戦争が何で起こるのか)、憲法に明記すれば(台風は来ないでくださいと明記すれば日本を避けて通過してくれるのか)それで私たちの暮らしは守られるのか。
 ようやっとこの国も、普通の国の認識を持ち始めたのではないか。

 今回の総理の決断を批判する声もある。だがこの激動する世界情勢のなか、特に海洋進出を企む中国、核保有を自称する北朝鮮を隣国にもつ東アジアの恒久平和が、日本の憲法を拝むだけで守られるのか。批判勢力にはその答えが見えない。

 かつて我がオヤジの郷里大分県には大友宗麟という戦国武士がいた。キリシタンであった宗麟は誰よりも争い事を嫌ったらしい。しかし結果は、皮肉なことに「争いのない国造り」を進めるためにあえて争う道を選ぶことになる。その心中はいかがなものであっただろうか。リーダーのやるせない孤独な決断は、いつの時代も変わらない。