毘沙門天

  「敵は本能寺にあり」。天正10年(1582年)6月2日、備中高松城包囲中の豊臣秀吉の救援に向かう織田信長を襲った凶事。丹波亀山城から引き返し叛逆した家臣、明智光秀は、京都・本能寺に宿泊中の信長を討った。ご存知「本能寺の変」だ。
  天下の覇権をほぼ手中に収めた信長にとって、「下天は夢か」と言ったかどうかは定かではないが、さぞかし無念であったことだろう。が、その光秀も日を経ずして討たれ、乱世は英雄・秀吉を誕生させることになる。大河ドラマ「天地人」に倣えば、信長、光秀ともに天の時、地の利に恵まれたが、人の和に泣いたということか。この故事から、極めて短時間しか政権、権力を維持できないことを「三日天下」と言うそうだ。

 新春早々、我が主人、衛藤晟一参議院議員の「三日天下」、もとい「三日坊主」現象が始まった。何と「ダイエット宣言」が発令されたのだ。たまたま乗ったヘルスメーターの数字を見てめまいを起こし突然、決断を下した―というのが、どうやら今回の騒動の始まりらしい。いつもなら「発令」と聞いてざわめく秘書軍団も、過去に何度も聞かされたこの発令には、もう慣れっこになっているようで、「はい、はい、頑張ってくださいませ」と、落ち着いた受け答え。なんとなく冷ややかな表情にも映る。
  さて主人。第一クルーの生リンゴ・ニンジンジュース作戦は、F秘書(事務所唯一の女性秘書)の協力で無事にクリアー現在、第二クルーの野菜スープ作戦を展開中なのだが、秘書団によれば、「すでに先は見えた」そうで、じきに発令の撤回が行われそうだという。
 主人のウエイトオーバーには、それなりの理由がある。ひとつは、その日程。国会議員は会議、懇談、懇親の類を連日のようにこなしているが、そのほとんどは食事付き。そりゃあカロリーオーバーになるのも無理はない。もうひとつは、事務所の環境。ラージサイズで知られるS秘書は、先日ヘルスメーターの数字を振り切ったばかりだし、我が相棒のG秘書も体格の良さでは引けは取らない。F秘書も、まあ、そこそこ。これらに囲まれた主人なら、日ごろから危機管理の意識が薄れても、なんら不思議はない。
  それにしても、健康がすべての源。気を付けていただかなくてはなりません。

 「天の時か…」。一向に回復しない内閣、自民党の支持率に、苛立ちを隠せない主人の隣で「戦後50年を過ぎ、民主主義国家でこれだけ長期に政権を担当している政党が他国にあるでしょうか。時間の流れもあるのでは…」と話すM秘書に、主人は思わず、こう呟いた。
 「かつての自民党は、アジアの中心となる民主主義国家の確立、戦後日本の復興といった目標に真正面から向かい合ってきた。それが近年、目の当たりにする重大な課題に明確なメッセージが発信できず、直視していないように映っているのではないか。しかし、安部内閣も麻生内閣も、成果は出しているんだ。ただ、戦後の民主主義は、恐ろしいほど労力を必要とする。ひとつのことを決めるのにも、幅広く意見を聞かなければならない。当然、意見は対立する。そのつど話し合い、互いに納得できる接点を見つけていくには、かなりの時間が必要なんだ」と続ける主人に、「『少数異見』の尊重ですか」と、M秘書は口を挟む。「その過程でマスコミが報道すれば『意見の対立』から『意思統一ができない』となり『バラバラの党内』に。さらに結論が変われば、今度は『ぶれた』と言われてしまうこともある。一方の民主党は政権獲得へ形振り構わずの姿勢。審議拒否ばかりが目につくようでは、国民の皆さんの苛立ちは高まるばかりで、閉塞感が湧き上がるのも、致し方ない。現在の日本の経済事情は、予算を政争の道具にしている場合ではないはずなのだが」。
主人の悩みは深く、尽きることがない。

  先日、M秘書と連れ立って神楽坂にある鎮護山善國寺の毘沙門天を参詣、主人の安全と、来るべき総選挙での我が自民党の必勝を祈願してきた。この日は休日の午前中、あいにくの雨と重なって参拝人はまばらだったが、そのことがかえって静寂さを漂わせ、心安らぎ、素直な気持ちになれた。
  毘沙門天は、サンスクリット語で「ビシュラバナ」と表記するそうで、その音写が「ビシャモン」というらしい。「すべてを聞く」、「普聞」という意味を表し、古来よりインドで信仰されてきた「財宝の神」だ。仏教では四天王の一人に数えられ、須弥山(しゅみせん)の中腹に住み夜叉・羅刹を従え北方守護を司る。法華経には「仏法と帰依する衆生を守護する」とある。日本では、七福神の一人として広く知られている。
 残念ながらそのお姿は、善國寺のリーフレットの画像でしかお目にかかれなかったのだが、左手に宝塔を捧げ、右手に槍を持ち、甲冑で身を固めた忿怒(ふんぬ)の姿は、迫力満点。あの上杉謙信を魅了したのも十分に頷ける。

  その謙信をして、果たせなかった天下統一の野望。義を重んじ、人の和をもってしても天の時、地の利には勝てなかったということか。それとも、自身が望まなかったのか。私ごとき一車両には知るすべもないのだが、主人同様、歴史もまた、思えば深く尽きることはない。