無信不立

 中国の五経のひとつ礼記(らいき)に「大信不約」とある。
 「本当の信頼は、ルールや約束事で得られるものではない」、つまり、心のこもっていない形だけのことでは、真の信頼関係は成り立たないという意だ。
 「信頼」。私たちの現代社会で、一番失われつつあるのがこの言葉なのかもしれない。

 果たして今の政治は、国民から信頼されているのだろうか。そう問うと、我が主人、衛藤晟一参議院議員は「そうだな…」と暫く間をおいてから「いまほど政治に対する信頼が薄れているときは、かつてなかった事かも知れないな…」と低い声で呟いた。
 
 とりわけ、いまの我が自民党は、どう贔屓目に見ても、ちと、酷い。
 郵政民営化、定額給付金などに関し、党を代表する総裁、元総裁の相次ぐ発言については、私ごとき一車両が論ずべき立場ではないが、あえて言わせていただけば、その立場におられる方々が言い放った言動とは到底思われない。麻生総理のファンを自称する私でさえ、我が耳を疑ってしまった。先日、報道番組で衆議院議員の島村宜伸先生(東京⑯区)が「総理は真っ直ぐで正直な人だから、ああいう発言になってしまったのだろう」といった内容のことをおっしゃっていられたが、そのことは十分理解できても、立場は立場。さぞや国民からは理解されない面を残したことだろう。 

 では、郵政事業の民営化をめぐって行われた2005年の第44回衆議院議員選挙とは何だったのか。主人は往時を振り返って話すことは殆どないのだが、私は昨日の事のように覚えている。
 法案の採決に際し、自民党所属議員の心は、明らかに揺れていた。
 小泉総理を中心に諸手を上げて賛成した議員が、大半だったかどうか。
逆に民営化に真正面から反対した議員もいたし、民営化には賛成したものの法案の内容には異議を唱えた議員もいれば、3年後の見直しを見込んで賛成した議員、さらには、選挙を考えて体制に流された議員、そもそも郵政法案自体に関心を示さない議員さえもいた。
 そして採決。その結果、解散、総選挙になり自民党の圧勝という結末を迎えた。
 しかし、以前にも触れたが、この圧勝劇には複雑な側面があった。この時の全国300の小選挙区の数字を改めて調べたN秘書のデータ(彼はこの資料を作成するのに丸1日を費やした)によると、法案に賛成した自民、公明の候補者の獲得票は33.324.987、一方、反対したその他政党の候補者の票は34.485.605でその比率は、なんと賛成49対反対51。無論、有権者は様々な要素を加味して投票している訳だから一概には言えないことだが、当時の総理の言った「郵政の民営化、ただ一点を問う選挙」だったとすれば、国論は二分されていたことになりはしないか。それが、小選挙区という選挙制度の持つマジックで、賛成派の圧勝になってしまった。つまり、この選挙は、こんなにも死票を多く生み出すという負の一面を露呈してしまう形になったといえる。
 そんな往時の議員心理、状況、経過に結果を一番よく御存じだった方こそ、小泉純一郎元総理にほかならない。
 そんな小泉元総理が、この時期に、あえて麻生総理を扱き下ろした真意は何なのか。知るよしすらないのだが、願わくば叱咤の後、一言激励の言葉を掛けていただければ…と思ったのは、麻生ファンの身贔屓だろうか…。それとも、小泉元総理の言葉は、麻生総理一点に集中砲火を浴びせていたマスコミの批判を分散させ、自民党の消えかけた団結心を再び点火させる起爆剤になったのか。そこまでいくと一車両ごときでは、とても想像が及びそうもない。政治はそれほど深く、難しいものか…。

 いよいよ党の存亡を賭けた総選挙が迫っている。世界がドラステイックに変わる中、我が国の舵取りが、たとえ誰になろうとも、国民との信頼がなくては、国は成り立たない。

 「無信不立」。論語にこうある。
 下克上の乱世、戦の絶えないある日、弟子の子貢は孔子にこう尋ねた。
 「政治とはいかにするものでしようか?」。
 孔子は答える。
 「食料を充分にして、兵備を充分にして、民に信頼を持たせることだ」。まずは生きるために食料を確保すること。次に食料を守る防衛力を確保し、そして民を教化して信頼の心をもたせるーというのだ。
 そこで子貢は「もしも、やむを得ず、切り詰めるときは、どれを捨てますか?」と尋ねる。「兵備を捨てる」と答える孔子に「残り二つのうち、どちらかを捨てなければならないとしたら、どちらを捨てたらよいのですか?」と子貢は続ける。
 すると孔子は、こう答えたという。
 「飢え死に覚悟で、食料を捨てる。昔から永遠に死なない人はいない。だが、信頼する心がなければ、民は立ちゆかない。『いにしえよりみな死あり、民は信なくんば立たず』」。
 「信なくば立たず」。
 人と人との信頼関係がなければ、何事も成就しない。
 孔子は、2000年以上も前に、こう言っている。