郷愁

人有悲歡離合
月有陰晴圓缺
此事古難全
但願人長久
千里共嬋娟
 「曇りの空と晴れた夜がある。
 月には満ち欠けもある。 
 晴れた夜と満月が、両方うまく揃うのは、難しい。
 しかし、私たちの間にある友情以上の情は、
 千里を離れても、お互いの健康と幸福を祈りあうこ
 とができるだろう。」

 中国の有名な漢詩の一部だ。
 こんな友を一人でも持つことが叶えば、私たちの人生は、きっとファンタスティックなものとなるに違いない。

 3月は別れの季節。苦楽をともにした学友、同僚が卒業、転勤を機に離れ離れになってゆく。待ち受ける新しい世界への期待感が高まる一方で、センチメンタルな気分に染まる心は、桜が見事に演出をしてくれる。「会うは別れの始めなり」か…。

 我が主人、衛藤晟一参議院議員が大分県立大分上野丘高校を卒業したのは、昭和41年3月のことであった。
 明治18年に県立大分中学校として創立した同校は、県下で最も長い歴史を持つ伝統校で、質実剛健を校風に県下一の進学校として現代でも全国にその名を知らしめる名門校だ。
 主人は、ちょうど団塊の世代のど真ん中。そのため往時の同校は、1クラス55人学級で1学年13クラスのマンモス高校だったそうな。「県下にこれといった産業がなかったため、人材育成に力を注いだのだろう」と話す主人の学園生活の思い出を、ちょいと覗いてみれば、驚くべきこと数多し。
 まず1日の授業は8時間割なのだが、さらに、おまけとして0時限(始業時間前)の補習があったそうだ。2年間ですべての学習過程を終了し、3年生の1年間はみっちりと受験対策に当てられる。夏休みは連日補習に明け暮れ、修学旅行などもちろんなし。「体育祭や文化祭はあったように思うのだが、記憶にはないな…」と話す主人の青春の数ページはどうやら、現在の「ゆとり教育」とは大きくかけ離れた、「そんなもの、くそ食らえ」ともいえる毎日だったようだ。
 「でも誰も不満なんか言ったやつはいなかった。だってそれが当然のこととして納得して皆入学して来るんだから。こんな授業の話だけでは窮屈な面ばかり強調されているけど、楽しい思い出もいっぱいあった。入学式の校庭の満開だった桜は、いまでも覚えているよ。俺は勉強だけじゃあなく、良く遊んだ方だな。そういえば卒業後数十年して有志と『修学旅行』に行ったんだけど、ものすごく懐かしい顔が揃っていてさ、みんな年取ったなーって…」と話す主人の横顔は、まるで少年のようにはにかみながら瞳をキラキラ輝かせた。

 さて、その母校、大分上野丘高校は60年ぶりに春の甲子園に登場する。初戦は3月23日、相手は古豪・箕島高校(和歌山)だ。相手にとって不足なし。「ぜひ、悔いを残さない試合をして、あわよくば甲子園の青空に響き渡る校歌を主人に聞かせてほしい」とM秘書などは、連日「毘沙門天」にお祈りしているとか。

 主人の学生時代の話を聞いて、時の流れとともに郷愁を感じたが、改めて学校、学業、学歴といった教育の一面を垣間見た。確かに進化する教育は科学技術を急速に進歩させ文明を発展させる。やがて近いうちにすべてが自動化、電子化され物質面では想像も付かない豊かな世の中が訪れることだろう。しかしながら、そうなればなるほど忘れ去られ、失われてゆくのが人本来の生き方、暮らし方ではないだろうか。

 そう思うと私は、あの文豪・池波正太郎の随筆を思い出さずにはいられない。
 「前文略:私が子供のころの同じ町内には、下駄屋があり、炭屋があり、油屋があり経師屋があり、三味線・洋服・弓矢・仏壇・看板・寿司・洋食・鰻・菓子・精肉・魚など、数え切れぬ小さな店が立ちならび、町内から一歩も出ずに、すべてが間に合ったものである。映画館も寄席もあった。いまも、こうした職種がないわけではないが、どの子供も中・高・大の学業をおさめるようになれば、当然、その数は減じてくる。
 何も大学を出て肉屋や魚屋の店員になることもあるまいというわけだ。したがって、スーパー・マーケットやデパートが増え、ついに銭湯が消え、映画館までがパチンコやスーパーにかわる。
 大工・左官・床屋の見習いも減るばかりだ。
 つまりは手や躰を使ってする職業が減り、何事にも頭を使って暮らそうというわけである。
 その結果、老人たちは孤立し、新しい家庭はコンクリートの高層マンションの密室でいとなまれる。
 子供たちは学業に追いまくられ、親は、我子の学業と新しい住居を獲得するために、壮年から中年に至る、男として最も大事な時期を、時間的にも経済的にも充実させることができなくなった。
 大人の世界が充実しない世の中が、子供の不幸を生むのは当然なのである。
 まったく、いまの親たちは子供が育てにくかろう。
 こんな、わびしい大人たちのまねを子供はしたがらない。
 したがって、子供と若者を相手にした風俗が氾濫することになり、男ひとりの手では、到底、一家を支えることができなくなったので、経済的にも環境的にも結婚すれば女の力が物をいう。
 こうなれば当然、女性専門の風俗が擡頭(たいとう)し男を圧倒する。
 その結果として、男だか女だか、わけがわからぬような子供が[新世界]に登場しはじめた。
 自分の家庭で、何人もの老人が死んで行く過程を見ることもない子供たちは、人間の死というものが、どのようなものかを知らない。
 だから死の恐ろしさも厳しさも知らない。
そして簡単にくびを吊ったり、ビルの屋上から飛び下りたりする。
 私の小学生のころの、たとえば担任の若い先生が、日曜日になると、自分の下宿へ教え子を交替で招び、牛肉の細切のすき焼きを食べさせてくれたり、小説の好きな生徒について来てくれて、古本屋で本を値切ってくれたりした、そんなことが、いまもあるのだろうか…。:以後省略」(朝日文庫・チキンライスと旅の空)

 「新しいものは、古いものの中からしか生まれない…」。
 文豪はこの随筆で、何度となくこう繰り返している。