表と裏

  人生は博打のようなものだ。どんなに安全牌を選んで凌いだ所で、テンパってしまえばどこかで必ず一か八かの勝負をしかけなければならない場面に出食わす。しかも結果は、永遠に勝ち続けることは不可能だし、だからといって負け続けることもない。それは紙一重で決まる場合もあれば大差の時もあるだろう。いずれにしても多少の差異はあるにせよ最終的には勝つか、負けるか、限りなく50%の確立で収まるようになっている。勝負の究極は二者択一。表か裏かのコイントスのようなもの。そこが人生の大きな分かれ目なのだ。

 最近のマスコミ報道は、佐村河内守さんの作曲や小保方晴子さんの「STAP細胞」など捏造疑惑を報じて盛り上がっているが、この話には共通点がある。それは、一度はマスコミに絶賛して取り上げられたものが、ひとたび疑惑が浮かび上がると手のひらを返すように袋叩きにあっているという点だ。
 ものには表と裏の顔があるということなのだろうか。勿論、不正が事実ならばそれも致し方のないことなのだろうが、あえて言えば当初の段階でその事柄を検証し、真実を見抜くことが出来なかったのだろうか。そういった努力をしなければマスコミはただの垂れ流しということになってしまうし、その社会的影響力を考えれば、そのことは大きな問題になるんじゃあないのかな。

 もっとも事実の事柄とて見解は賛否に分かれるものだ。例えば、国会が衆参のねじれて決められない政治だと指摘し、強いリーダーを望む声があったのだが、それが解消すると一変、今度は一党独裁で暴走する政権と批判する声に変わる。政府が予算を縮小すれば、「景気対策はどうするんだ」と追及され、それではと大型の財政出動を伴えば「財政規律はどうするのか」と叩かれる。立ち位置によって見解の相違は出てくるのだろうが、それならばせめて詳しく検証してから批判してほしいと思うのだが。

 近年、国会では議員定数の削減、政治にかかる金銭、選挙制度などが議論されているが、これについて一連のマスコミ報道はどの国の何と比べてこの国のどこがおかしいと検証しているのかさっぱり分らない。
 果たして我が国は世界的に見て人口に対する議員の数は本当に多いのだろうか。政治家一人の経費は高額なのだろうか。選挙にはいったいどれくらいの金額が使われているのだろうか。小選挙区制度の導入で政治は本当に良くなったのだろうか。我が国の政府支出は対GDP比でどうなのだろうか。
 じっくり調べて検証した上で正しい立ち位置を国民に教えてくれるのも報道の大きな役割ではないかと思うのだが。