融通

 「日本らしさ 取りもどします。」は平成19年、我が主人、衛藤晟一参議院議員が選挙に際し使用したキャッチコピーだ。ご承知のとおりこの選挙は、主人の政治生命を懸けた、いわば乾坤一擲の戦いだった。
 この言葉に込めた、主人の思いはいったい何だったのか。改革、改革と唱えさえすれば誰でもが先進的な政治家と受け止められたこの時期に、あえて逆行したような、聞きようによっては保守的な守旧派と思えるこの言葉を選んだその理由を、主人はこう述懐した。
 「日本の文化、伝統っていうのは、幾重にも重なり合ってつくられてきたものだと思うんだ。いくら劇的な変革が起ころうと、すべてを否定してゼロから組み直していくのではなく、さらに新しいものを積み重ねてつくってきたんじゃあないかな。その文化、伝統を大切に継承していくことが、今を生きる私たちの使命だと思う。もちろん、古いものすべてが正しいというつもりはないが、その原点ともいえる『日本らしさ』を無くして、どうして他国と互いの立場を尊重しあえるのか。世界的協調はそうした基盤の上に成り立っていくのだと思う。この言葉には、そんな気持ちがこもっているんだ」。

 では、主人の言う、取り戻さなければならない日本らしさっていうのは何なのか。一車両のカーナビでは答えが出るはずもないのだが、あえて叩き出せば、そのひとつは「融通さ」という言葉のように思うのだ。
 以前にも触れたが戦後の日本は、戦勝国アメリカから自由と民主主義という、ある意味ではバラ色の夢のような、半面、数の理論で押し切る多数決の、AかBという二者択一の文化が押し寄せてきた。これを日本独自の文化で消化することなく、あっさり受け入れてしまった。つまり、すべてが白か黒の選択を迫る時代になってしまったし、それこそが民主主義だと思い込んでしまったように思う。緑、黄、青や赤があってこその景色であることを忘れてしまって……。
 その結果、日本らしい「融通さ」が消えうせた。
 例えとしてはあまり適切とは思わないが、我が国では「遺憾に思う。善処する」や「儲かりまっか?」「ぼちぼちでんな」などという言葉が使われる。これを英訳すると「Yes」なのか「No」なのか、「Good」なのか「Bad」なのかよく分からないが、日本人はこの微妙なニュアンスを理解し、言葉の真意を感じ取れるのだ。
 これらの言葉は当然、国際化が進むなかで他国との間では、さすがに理解されないことだろう。はっきりとした表現が必要とされる。しかし、だからといって、すべてを他国に合わせることで協調といえるのだろうか。これらの融通さを持った日本独特の文化だからこそ、寿司、柔道、相撲、浮世絵、歌舞伎、武士道などなどを欧米人は憧れをもって絶賛するのではないのか。
 あの文豪、池波正太郎は随筆でこう綴っている。
 「人間とか、人生の味わいというのは、理屈では決められない中間色にあるんだ。つまり白と黒の間の取りなしに。その最も肝心な部分をそっくりと捨てちゃって、白か黒かだけですべてを決めてしまう時代だからね。人間というのは、善いことをしながら、悪事をし、悪いことをしながら、善事をなす、不思議な生きものだ」と。

 ところで先日、我が秘書軍団が珍しく打ち揃って食事に出かけた。行く先はM秘書のたっての希望で、赤坂の「花むら」になった。つまり「天婦羅」を食べに行ったのだ。
 小奇麗な玄関から二階に案内されると、座敷の中央に調理場が設けられており、そこで揚げたての天婦羅を味わったとか。その美味しかったこと、日本料理の醍醐味を十分に堪能したらしい。
 「日本人は、四季おりおりの変化を『しゅん』と名づけた海、山の幸で味わってきました。いま季節感が薄らぎつつある世の中だからこそ、味の宝ものを大切にしたいと考えています。そのため、何よりも材料の吟味には、一番の努力を払っております。これが私どもの『味の良心』です」というのが、花むらのモットーとか。
 ほどなく酔いが回ったところで、F秘書が小声で「あの……、池波先生は、いつもどの席にお座りになられていたのかしらん?」と尋ねると、主人らしき男性が「先生は、どこと決めた席はございませんでした。奥さまとよくお越し頂きました」とポツリ。ほかにも遠藤周作、吉行淳之介、阿川弘之など、この店を愛する、または愛した常客の名をあげれば枚挙に暇がない。その味もさることながら、礼儀正しいアットホームな接客は、文豪が絶賛するだけのことはある。
 そして、何よりいいのが、店内のどこにも色紙とか写真の類が飾りたくってないことだ。「うちは味が命なんだ」と言わんばかりの、主の粋な心意気が伝わってくるかのようで、実に清々しい―そうだ。

 林志玲のファンで、マンチェスター・ユナイテッドをこよなく愛し、サラ・ブライトマンの美声に酔いしれる私だが、秘書団のこんな話をさり気無く聞いて、日本人、もとい、日本車に生まれてよかったと、つくづく思う昨今だ。