それは突然の出来事だった。

 それは突然の出来事だった。
 9月の声を聞いた途端に、福田康夫総理が辞任を表明した。この日、私は、我が主人衛藤晟一参議院議員と家人を乗せ、久し振りにプライベートな時間を過ごしていたのだが、「総理辞任」の一報が入るや否や主人は情報収集に奔走、どうやら寝耳にウォーターだったようだ。
 「何て言えばよいのか。最終的な進退は、政治家自らが決断するものだから…」。携帯電話を握る主人の言葉は、心なしか歯切れが悪い。「ぶん投げ」「投げやり」といった意味の言葉が電話器の向こうで声高に躍るが、総理は、あえて非難を覚悟で「自ら引くことで道を開く」決断をされたのではないのかー。思考が交錯するなか、主人は複雑な表情を見せていた。

 かくして自民党の総裁選は始まった。22日の投開票に向け5人の衆議院議員がゲートインしたのだが、そのなかで主人は、麻生太郎幹事長を推すことになった。「気心知れた九州人ということもあるが、もっとも大きな理由は政策面だ。安倍晋三、中川昭一両先生同様、議員にとって目標とする国の在り方に対する共通点が多い。昨年の総裁選も麻生先生を支持していたはずだが」とМ秘書は説明してくれた。今後はゴールを目指し、激しい政策論争が展開されていくのだが、競争妨害やラフプレー、よもや落馬などといったアクシデントのないフェアなレースを多くの国民は望んでいるはずだ。

  「そういえば、最近の一部マスコミの報道には、二極化を標榜する向きがあるとは思わないか? 」。秘書の一人が新聞を見ながら呟いた。AorB、二者択一の議論が展開されているというのだ。「今回の総裁選でも同様だ。例えば重要政策のひとつ経済対策では、『財政規律派』と『積極財政派』が対立した主張として色分けされている。しかしどうだろう。景気回復なくして財政再建は出来ないし、財政再建なくして希望のある将来は描けない。どうしても白黒で決着をつけるテーマなのだろうか」。二者択一の多数決は、民主主義のルールで分かり易い。しかしそのことが著しく国民の連帯感を鈍らせ、時として信頼を失わせることもあるーと、首を傾げる秘書に私も頷くことがある。

 かつて政治改革という言葉が、まるで熱病のように永田町に蔓延した時期があった。その象徴が選挙制度の改革、小選挙区制度の導入だった。往時、主人は衆議院議員で小泉純一郎元総理とともに最後までこの制度の導入に抵抗し続けた。それは確かこういった理由だった。
 「政治を浄化することに何の異議もない。ただ、小選挙区制度を導入すれば政治が良くなるという短絡的なものなのか。党内民主主義を確保しなければ一部の執行部に膨大な権力が集中してしまう。そしてなにより、これが政治と金のスキャンダルを一掃する処方箋にはならない」
 暫くして、主人らはマスコミから「守旧派」というレッテルを貼られ色分けされてしまった。改革つぶしーということになったようだ。
 その結果、現在の小選挙区制度が導入された。確かに政策で選べる分かりやすい選挙制度にはなったのかもしれない。しかし、党内民主主義と政治の浄化はどうなったのか。「前回の総選挙の際、俗に『刺客』と呼ばれた候補者を、人名事典を使って選んでいる幹部がいた」なんて、俄かには信じられない事を言う官邸番記者に出会ったし、政治と金の問題については、みなさんご承知のとおりで、あえて説明は不要だろう。

 前回の総選挙もそうだった。「郵政事業の民営化」その一点で、小泉元総理は、参議院で否決した法案を衆議院を解散して国民に問うた。主人は採決に際し青票を投じ、自民党を離党、『刺客』を迎え撃った総選挙では惜敗を喫し、屈辱を舐めた。
 「郵政事業の民営化は基本的に賛成だ。ただ現状の法案では国益に反する面がある。将来的に郵便事業のユニバーサル化を維持するのも難しそうだ。現在が赤字を出していないのなら、十分議論してからでよいのでは。拙速は避けたい」。
 主人の意見は、確かこんな内容だった。ここでもマスコミから「構造改革つぶし」という烙印を押され、またしても色分けされてしまった。
 ご承知のとおり、我が自民党は歴史的な勝利を掴んだ。郵政事業の民営化は国民に支持されたことになる。のだが…、確かに自民党議員の数多くが当選し圧勝であったことには違いない。しかし、総理の言った「郵政改革の賛否を問う」この一点だけが争点の選挙だったのなら、国民全体の投票が、賛成した議員よりも、反対した議員に多く投じられた事実をどのように解釈したらよいのだろうか。まして、これを皮切りに断行するはずの行政改革はどうしたのだろうか。
 私が自民党を誹謗すると、秘書団に叱られてしまうのでこれくらいにするが、私は主人とともにいて、偽りない真実の行動をお知らせしたい、ただそれだけである。
 
 いずれにしろ総裁選が終われば、総選挙が待っている。
先日、車中のシートに投げ込まれていた新聞の紙面に、金美齢さんのコラムを見つけた。金さんは7月に事務所で主催した講演会で講師にお招きし、講演後は主人、秘書団を交え食事をとりながら意見を交換した仲だ。さて何が書いてあるのか……。
 「メディアはこぞって『政府が悪い』『政治家が悪い』と責め立てる。責められて当然ではある。しかし、政治家を選び、政府を構成するのは国民である。主人公たる国民が一切の責めを負わず、悪いのは常に政府と政治家であると責任回避してよいのだろうか。
 今度こそ有権者はメディアに振り回されてはならない。『SAPIO』(9月24日号)の特集はずばり『腑抜けたテレビが日本をダメにする』。『姫の虎退治』に浮かれ、『姫』に6年の任期を与えた選挙民は今何を思うのか。1年に1億、6年で6億の血税に値する国民の代表として『姫』に1票入れたのだろうか。国民にとって、生活は第一である。しかし、国の安定なくして生活が成り立つ訳はない。国益を無視し、ひたすら有権者にこびる、パフォーマンスだけの候補者には断固『NO』をつきつけてほしい。
政治家のリーダーシップを期待するなら、国民一人一人が真剣に考え、選び、支援、監督すべきである。個人と国は運命共同体なのだ」(産経新聞)
 おそるべし、金さん。相変わらず鋭くて、何よりもお元気そうだ。
 頷く主人を横目に我が相棒G秘書は、私のアクセルを踏み込んだ。