真夏のオリオン

 「第二次大戦下、私の乗り込んだ輸送船は、南太平洋を航行中、米国からの魚雷を受け撃沈してしまった。私は船外に放り出され、一命は取り留めたものの運よく握った一片の木片とともに漂流する羽目になった。周りには誰一人確認することが出来ず、何一つない大海原を、私は漂う木屑になったんだ。『もうだめだ。俺の一生はこれでお終いだ』。このときは本当にそう思えた。やがて日が落ちて辺りは真黒のベールに包まれた。『さぞ怖かったでしょうに?』って、いや、それがそうじゃあなかった。ふと見上げた満天の星空に南十字星を見つけたとき、不思議と死に対する恐怖心は消え、ただ光り輝くその美しさに心を奪われてしまった。生と死の境で見たもの、今でも忘れることが出来ない。あの南十字星を…」。
 ずっと以前、テレビのトーク番組で、往年の名優、池部良(91)は、こんな内容の話をしていた。

 人間は神が作り出したものかどうか、はっきりとはしない。ただ、アメーバから始まったなどという進化論は、とってもじゃあないが信じる気にはなれない。
 その人間が平等に与えられたたった一つのもの。それは「死」に違いない。どの国に生まれようと、善人悪人に係わらず、格差社会の下、万人みなに訪れるものだ。
 最近、死生観に関するテーマの議論が数多く聞かれる。脳死のあり方をめぐる臓器移植問題、死刑制度の是非に関する問題。どちらにも人それぞれの意見があることだろう。果たして国としてどういったルールにするのか、国民はじっと見守っていることだろう。

 生活保護の「母子加算」復活を求める要請が、数多く寄せられてくる。先ごろ参議院では野党の賛成多数(自・公は棄権したため全会一致)で、この法案を可決した。政府の方針にストップをかけたのだ。(同法案は引き続き衆議院で審議される予定)
 母子加算は2004年まで、2万3.260円(1級地)を18歳以下の子供のいるひとり親世帯に支給されていたもので、政府はこれを廃止し、個々の支援(高等学校就学費、ひとり親世帯就労促進費、子どもの学習支援のための給付の設立、その他自治体への補助金)に切り替えた。総額でおよそ178億円。母子加算の年額約200億円に比べ約22億円が減したことのみを取り上げれば、批判は十分に肯ける。「弱者を守ることが政治の使命」といわれれば、そのとおりだと思う。
 先日、報道番組に映し出された、生活保護を受けている母子家庭の母親は、真っ赤なマニキュアと軽くカールのかかったような髪形で「子どもに服とズックをせがまれ、どちらかひとつしか買ってあげられない」と訴え、政府の非道ぶりを批判した。「それはお気の毒に。政治はひどいことをする」、キャスターは当然のようにこんな内容のコメントを付け加えた。この映像を見た多くの視聴者は、みなそういう風に感じたに違いない。「政治は弱い人のためにあるものだ」と。私もそうは思った。ただし、何かしら釈然としない何かが残ったようには思ったのだが…。

 厚生労働省の発表した最低生活保障水準の具体的事例によると(民主党に言わせれば、また役人の作ったペーパーか、ということになるのだが)、母子三人世帯(42歳・非就労、16歳、10歳)の場合(東京都区部)の保障金額(月額)は、生活扶助174.610円、教育扶助10.000円、高等学校等就学費15.000円、住宅扶助69.800円で合計269.410円になる計算だ。(これは上限で、ケースによって異なる)もちろん無税で、東京都は医療費も無料だ。これに母子加算が復活すれば約20.000円が加算され、約290.000円になる。
 この金額をどう受け止めるか。これはあくまでもひとつのケースに過ぎず、すべてが読み取れる訳ではない。しかし、人としての生活の最低限を保障する生活保護の金額がこの額ならば、保障しなければならない低賃金勤労者(健康保険に加入、年金を納めている)は、いったいどれくらいの人数に上るのだろうか。

 父の死は、極めてあっけなかった。昭和39年、脳溢血で42歳の短い生涯に幕を下ろした。後には母(33歳)と7歳の幼い子どもの二人が残された。棺桶の中をじっと見つめ涙を流す母を見たのは、葬儀の日、ただ一日だけだったと思う。いまでこそ「生きていくためには、泣いてなんぞいられなかった」と、母は振り返るが、女性の強さを始めて知ったのは、この時だったと思う。
 それから母は町工場で働きながら、一人息子を育てることに一生を捧げた。当時に生活保護の制度があったのかどうか、よく覚えていないが、母はそのようなものを考えもしなかったはずだ。残業で遅くなる母を、戸締りをし終えてインスタントラーメンを啜りながら待ち続けた夜を、今でも鮮明に覚えている。それでも何の不自由を感じたことはなかった。
 家族旅行など行ったことは無かったが、泳げない我が子に呆れ返り小川に連れ出して猛特訓をして鍛えてくれた教官は母だったし、逆上がりが出来ず涙ぐむ私に、即席の鉄棒を作って励ましてくれたのも母だった。給食費が免除されることを学友から揶揄され、仲間外れにされる―と登校拒否をする私に、「そんな奴、殴っておしまい」と、気合を入れてくれた母。学校の教材で、安価なものを選んだ私に、「自分の好きな方を選びなさい。母子家庭だからと卑屈になるな」と、叱咤した母の声を、40年以上もたった今でも忘れることが出来ない。
 いま、静かに余生を送る年老いた母を見て、彼女の人生って、一体なんだったのだろうかと寂しく思えるのだが、彼女のことだからきっと「素晴らしい人生だったよ」と答えるに違いない。

 そんなことが頭の中の片隅を過ぎった時、ふっと先ほど感じた釈然としない思いが何だったのか、分かったような気がした。

 こんなM秘書のあてども無い話を、デスクで静かに聴いていた我が主人、衛藤晟一参議院議員は、黙ったまま二、三度頷き、細い目をさらに細くしながら事務所の窓から梅雨空を見上げ、その先の何かを探しているように見えた。

 「真夏のオリオン」という映画が上映されている。
第二次大戦下、我が国のイ―77潜水艦と米海軍の駆逐艦との壮絶な死闘を描いたストーリーだが、平和ボケした日本人には是非とも見てほしい映画だ。
 人間魚雷回天を装備しながら、「私たちは死ぬためではなく、生きるために戦う」と、断固として発射せず戦い抜いた倉本艦長の執念。米国ともども祖国を懸けた熱き思いに、いまの平和とは何なのか、改めて考えさせられる。
 無事帰還を祈る、愛する人から送られた一枚の譜面「真夏のオリオン」。
 「オリオンよ 愛する人を導け 帰り道を見失わないように」
 いまの日本に、「真夏のオリオン」は、輝くだろうか。