私には名前がない

 私には名前がない。
 いや、正確に言えば固有名詞がないといったほうがいいのかもしれない。メーカーでは私の一族を「アルファード」と名付け、実際に事務所からもこの名称でオーダーされたのだが、その後ハッキリとした名前を付けてもらった記憶がない。勤務中の国会や議員会館、自民党本部の車寄せでは、我が主人、衛藤晟一参議院議員の名前で呼び出されるのが常。まぁ、しいて言えば「15」というプレートがついてはいるが、その由来すら知らない。我が相棒G秘書に尋ねると、登録に際して議員は迷わず「『15』をお願いします」とリクエストしたというのだが、この数字の意味を知る秘書は残念ながら皆無だ。

 名前といえば、主人の名前、衛藤晟一というのは「極めて読みにくい」と支持者に指摘されたことが多々ある。なるほど「衛藤」は、全国的に見ても数少ない苗字ではないだろうか。しかし、これが不思議なことに、郷里大分県に限り調べてみると、衛藤は基より、工藤、佐藤、首藤、加藤、江藤など「藤」の付く苗字がやたらと目に付く。かつては県内で、議員の8割以上が工藤先生なんていう自治体があったというからびっくりだ。地元関係者に聞いてみると「諸説様々あるのだが、かつての地元豪族が、優雅を極めた藤原氏から一字とって名乗ったという説が一般的」だそうだ。「全国の衛藤さんのルーツを辿れば大分県に帰着するのではなかろうか。私の先祖は佐賀、長崎の県境で活躍した松浦水軍に名を残し、さらにさかのぼれば奥州・平泉までたどり着くようだ」と主人はカミングアウトするのだが、真意の程は定かではない。また、名前の「晟一」は祖母が命名したそうで、晟は訓読みでは「あきら」と読み「明らか」の意。広辞苑によると「かげりのない、はっきりとした、明るいさま」ということらしい。「名は体を表わす」というが、なるほどと思うのは秘書団と私だけの身贔屓だろうか。

 政治家にとって名前といえば、イコール選挙の「顔」である。有権者には是非とも覚えていただかなくてはならないもののひとつ。そのため衆議院時代にはその表記に工夫して、分かり易くそれでいて優しいイメージで、なおかつ対戦相手を考慮、「衛藤せいいち」にしたり「えとう晟一」に変えたりと腐心を重ね、ついに前回の参議院選挙では全国区ということも手伝って、よりイージーに「えとうせいいち」とすべてを平仮名で表記することに相成った。現在の衆参両議院でフルネームを平仮名で表記する議員は極めて少ない。

 「顔」といえば、我が自民党の顔、第23代総裁に、また日本の「顔」でもある第92代内閣総理大臣に、麻生太郎先生が就任された。今後は「麻生が、やりぬく。」覚悟で、景気回復を筆頭に、安心した将来を約束する社会保障制度の構築、官僚を統率する行政改革の断行、国際的テロに屈しない外交など国益を前面に打ちだして、その辣腕をふるわれることだろう。

 これで、いよいよ解散、総選挙に向けての各党、陣形は整った。「太郎vs一郎」背水の陣の一戦は始まった。「国民生活が第一」など聞きようによっては国民に媚を売るようなキャッチフレーズがメーンの民主党。国益や国の安定なくして国民生活など成り立つ訳がない。まして「民の竈の煙」を気に掛けない政治家などもはや存在するはずもない。ようはその政策と中身。不透明と指摘されれば、無理やりにでも数を合わせて作った財源をバラマクだけの政策では、安心した将来など描けるはずがない。民主主義国家なら政権交代も必要だろう。ただしそれは、政権党にふさわしい政党があってこそのこと。政権奪取のためならば、過去の主張をすべて捨ててまでも形振り構わぬ姿勢の代表が、独裁を貫く政党に、明日のわが国を任せることなど出来ようもない。それくらいは「15」の私でも分かることだ。いずれにしてもこの戦い、自民党には存亡をかけた聖戦だ。

 「賽は投げられた」という言葉がある。BC49年、ローマへの進軍を決意したあのシーザーが叫んだ言葉と言われている。一方、東洋には「乾坤一擲」という言葉があって、BC209年、項羽を攻める劉邦の決断を後に韓愈が追懐したもので、どちらもイチかバチか、のるかそるかの賭けに臨むときによく使われる言葉のようだ。とはいえ、シーザーの進軍は身内の政変を察知してのことであったし、劉邦の決断も敵国の士気が半減したのを知った上でのことで、一方で冷静な状況分析があったことは否定できないことのようだ。それゆえ、両言葉とも、状況を見極め、勇気ある決断を下すことで道は開かれるといった意味合いで受け止められることが多いようだ。さらに共通しているのは、ルビコン、鴻溝という河をわたるシチュエーションで発せられたという点で、どうやら大河を前にしたとき、人間は前向きな気持ちが湧き上がってくるらしい。いま、麻生丸も船出の時を向かえ、大波の大河を前に、まさに立ち尽くしているようだ。

  「乾坤一擲」。
 ホームページの収録に際し、「崖っぷち」という言葉を多用した主人の口調に、並々ならぬ決意を感じたのは、秘書団と私だけではあるまい。