民意

  早いもので一年を振り返る時期になった。今年最大の出来事は、何といっても政権の交代だった。民意で自民党は敗れた、ということになるのだろうが、その民意とは一体何なのだろうか、最近つくづく考えさせられる。
 
 普天間基地移設問題を沖縄県民に問えば、「県外移転」との答えになるのは当然のこと。それは基地だけの問題ではない。原発、産廃処理施設など近代生活を営み、その関連として生じる、いわば負の部分の受け入れを望む国民など、日本全国を見渡しても皆無に近い。民意とは自由、言い換えれば自分勝手ということで、ファミリーライフのみを優先すれば、国家のことは誰が考えるのか。民意の「必要とするもの」は、国家の「善いもの」とは限らない、と民主政治を否定して哲人政治を説いたのは、あのプラトンだったっけ。そういえばソクラテスは、民意で処刑されたんだよな~。

 九日間に及んだ政府・行政刷新会議の2010年度予算概算要求についての「事業仕分け」が終了、廃止や計上見送りと判断された事業や、基金・特別会計など国庫へ返還を求めた、いわゆる「埋蔵金」の合計は、約1兆8.000億円に上った。
 連日新聞紙面を賑わした「事業仕分け」は、特にスパコンなどの科学技術関連、防衛関連予算等の取捨をめぐり、意見は過熱した。報道によれば、この仕分け作業を国民の8割が興味を持ち、高評価したというのだから、やっぱり「民意」は、良く分らない。
 そもそも国家観のない政権が、経済戦略のないままに、誰が、何の責任で、何を基準に決めたというのか。「小沢人民共和国の人民裁判が、役人を吊るしあげることで国民から拍手喝采を浴びる、そんなテレビのワイドショー」よろしく映ったのは、私アルファード号の車内テレビだけだっただろうか。

 ちなみに、11月29日付の産経新聞1面のコラム「古典個展」に、立命館大学の加地伸行教授は「民主政権は小心者の集まり」と題し、興味深い文章を執筆しているので紹介させていただく。
 『前文略―事業仕分けの人たちは、団塊の世代の少しあと。おそらくは団塊世代の気分。当局の各省庁は教授会か。議論は、善きことは問わず、悪しきことばかりの審問。まさにこれは大学紛争時における、学生集団と教授会との大衆団交の再現ではないのか。このような<暴力>による獲得からは、建設的なものは何も生まれない。生まれるのは荒涼とした風景だけであり、騒いだ連中は消えてゆく。無責任のまま。
 このような<暴力>が横行するのは、どこかにそれを促す独裁権力があるからである。民主的な発言からではない。
 その独裁権力とは、小沢一郎幹事長に他ならない。今の民主党ならびに民主党政府は、だれが見ても小沢一郎独裁である。
 独裁者の本質は、小心者であることだ。小心だから他者からの批判は認めない。どころか、その他者を恐れて憎んで排除する。そこで小心者リーダーの下には必然的に憶病な小心者が集まる。その典型が鳩山由紀夫首相だ。
 首相の発言には、まるで自分というものがない。自分で決めることがない、いや、自分で決める能力がない。すべて他人まかせである。整理することさえできない。これほど無能な首相はないのではないか。その極致は、自民党原因論である。国会での所信表明演説のあと、谷垣禎一自民党総裁の質問への答弁で、今日の政治の困難はすべて、従来の自民党政治が原因だとした。悲劇的かつ喜劇的答弁であった。旧政権の欠点に対して新政権の自分たちは新しい政策で是正していくのだ。それを具体的に言い切って示してこそ新政権の宰相たりうるのだ。それを他者のせいにして、何の新政策も示しえないのでは、国民はたまったものではない。以下文略』

 一等賞を目指す努力を、否定してしまうようなこの国の民意たるものは、いったいどこまで脱落すれば、事の重大さに気付くのだろうか。