戦いの美学①

●記録的な残暑もやっとこさ薄れ、秋の気配が漂ってきた。秋の夜長にかこつけて、自動車の分際で読書を楽しんでいるのだが、ただ今熟読している本が『生き残る最強組織の「成功」法則』(コアマガジン、山本茂樹著)。山口組など俗に言う指定暴力団の幹部の生きざまとその信念を綴ったものだ。彼らの行動が反社会的なものであり、弁護されるべきものではないことは十分承知しているのだが、組織の中で生き抜くひとりの男の価値観や人生観を学ぶには、決して悪いものではない。なにしろ親分を議員に、子分を秘書に置き換えて読み進めると、思ったほどの違和感はないし、それどころかこんな組織を構築することが出来れば選挙でも十分活用できそうなヒントがたくさん隠されているからだ。

 なかでも「ワシの願いは日本一の親分のもとで、日本一の子分になることや」を信条に三代目山口組・田岡一雄組長に生涯をささげた山本健一若頭の忠誠ぶりは任侠の一言。子分(秘書)の鑑とも言える。文中ではこんなエピソードで紹介されている。
 『その忠誠ぶりはつとに知られるところで、溝口敦著「雲を駆る奔馬』(徳間書店)によると、仮に夜中の3時、田岡から急な呼び出しがかかったとしても、冬でも車の中で目を氷や水で冷やしながら田岡邸へ駆けつけた。熱でもあるんですか、と若い衆が訊ねると、「親分に寝起きの腫れぼったい顔見せられるか」と答えたという。
 また、田岡三代目の長男・満氏の結婚式の折、山本健一若頭は三代目の名代として、招待状を持って東京の児玉誉士夫邸を訪ねたことがあった。広壮な児玉邸には大小2つの門があり、いつも使われていたのは小さい門だった。大きい門はめったに開かれず、主である児玉でさえ小さい門から出入りしていた。
 その旨を案内人から聞いた山本健一若頭は顔色を変え、「ワシ個人やったらどっからでもええ。せやけど、ワシは親分の名代で来とるんや。こそこそ勝手口みたいなところから入れるか。大きい方を開けい!」と言い張り、結局、開かずの扉を開けさせてしまったというのだ。山本健一若頭にとっては、右翼の大物も、我が親分に比べればなにほどの者か、という心意気だったのであろう』

 ほかにも、圧倒的な動員力、機動力、戦闘力で山口組全国進出の礎を築いた三代目山口組・地道行雄若頭や、「団結というのは人の和なんや、和は保たなあかん。報復というのは物騒な意味と違う。人に受けた恩は必ず返さなあかんという意味です。沈黙は、人のことをぐずぐず言うな。口は謹め、と。こういうごく常識的なスローガンなんですわ」と、この世界では有名な会則「団結、報復、沈黙」を謳った五代目山口組・渡辺芳則組長など、歴代幹部が次々に紹介され、その多様な人物像が浮き彫りになっている。決して極道の世界を肯定するつもりはないが、そこには、現在社会が忘れてしまった「男気」が確かに感じられるように思うがどうだろうか。

●52年ぶりの東京開催に沸いた柔道世界選手権は先日終了、わが日本は男女計16階級のうち10階級を制する見事な成績を収めた。国技とはいえ、本家日本よりも多い競技人口をもつ欧州諸国をはじめ、心技体とも優れた外国人選手を相手に見事としか言いようのない結果だった。
 
 特に今回目についたのは、日本選手の戦う姿勢。疲労の色が濃いなか、例え試合経過が不利でも、「待て」の声がかかればすぐさま定位置に戻り、平然として道着を整える姿は、まさに武士道そのものに映った。それでこそ日本人だし日本の国技だ。
 
 なかでも、優勝した男子66㌔級の森下順平(筑波大)、73㌔級の秋本啓之(了徳寺学園職)、女子48㌔級の浅見八瑠奈(山梨学院大)、57㌔級の松本薫(フォーリーフジャパン)、惜しくも銀に甘んじた48㌔級の福見友子(了徳寺学園職)の試合態度は圧巻の一言。勝っても派手なパフォーマンスは一切なし、負けても嫌な顔をしない、勝って驕らず負けて腐らず、これぞ日本武道の真髄を思い、見ていて清々しい気持ちになった。
 
 どうも最近のスポーツはいけない。野球にしろサッカーにしろ、派手なガッツポーズばかりが目につく。その態度は真摯に対峙した相手に失礼ではないのか。そもそも得点を挙げた選手の陰にこそ真の殊勲者がいるのではないのか。目立ちたがり屋ばかりがマスコミの注目を集める、それはスポーツだけでなく政界にも言えそうで、嫌な世の中になってきたものだ。
 そういえば、ラグビーだけはそんなことはないと信じてきたのだが、最近の花園で、トライを決めた高校生ラガーが拳を突き上げている姿を見て、がっかりしちゃったな…。