実体のない恐ろしさ

  ●2011年度の予算案が、予算関連法案と切り離されて参議院に送付されて来るそうな。ずいぶん不思議な話ではないか。財源の保証もない予算案を参議院で審議することに意味があるんだろうか。一般家庭で、女房が一か月の家計の遣り繰りに頭を捻らせたところで、稼いでくる亭主の給与の額が不明では予定の立てようがないではないか。衆議院では圧倒的に与党が多数を占めているのだから、関連法案を可決することは容易いこと。予算案、関連法案揃って参議院に送付することが正常の姿だと思うが…。
  ●税制関連法案、特別公債法案、子ども手当法案は参議院では野党の多数で否決されることだろう。衆院に再送付されても、現状の与党の議席数では3分の2で再可決することは不可能だ。すると菅直人総理の選択肢は、法案不成立の責任を野党に押し付けて居直るか、それとも総辞職か、はたまた解散か。野党に責任を転嫁したところで、そもそも予算編成は政府にしかできない。まして衆参ねじれ国会は昨年の参院選の結果から分かっていたはず。いまさら居直ったところで、手を拱いていた責任は与党にあることは明白だ。では総辞職はどうか。マニフェストが破綻しているのだから誰が総理になっても同じではないか。マニフェストの厳守を訴える守旧派と、なし崩しに約束を違える詐欺派が党内抗争を続けることに何の変わりもない。ならば追い詰められて一か八かの解散しか道はない。「税と社会保障のあり方」を争点に総選挙、そんな選択肢しか残らないように思う。
  ●さすれば選挙で民意を問うということになるんだろうか。しかし、この民意ほど当てにならないものはないよナ。民主党を選んだのも民意なら、失望しているのも民意なんだから。
  「民意とはそもそも不破雷蔵の集合体である。今日は右、明日は左。ひらひらと舞う木の葉のよう。政治家諸氏が民意を連発するたびに、私は背筋が寒くなる。きっと『国民目線に立つ』といいたいのだろうが、実体のない民意などよりどころにしてもらっては困るのだ。上に立つ者は、断固たる志をもって突き進むべし。だからこそ、みんな安心してついてゆける。もちろん他人の意見に耳を傾け、唯我独尊をつつしむことは大前提だとしても、民衆の顔色を見て媚へつらうなどもってのほかだ。最近、幕末の志士たちの小説を書いたせいか、自己本位で画一的な現代人が不甲斐無い。日本人はもっと輝いていたはずだ。格差社会、けっこう。格差があるからこそ上を目指して頑張る。公平より、努力すれば道が拓ける社会をつくることが、政治家やジャーナリストの役目ではないか。民意なんかに騙されてはいけない」(読売新聞2月4日夕刊)
  作家の諸田玲子さんは、コラム「民意 実体のない恐ろしさ」でこう述べている。何と耳の痛い話だこと。