がっかり

 「先日の東京都知事選の結果には、正直がっかりした。石原慎太郎の楽勝は想定内、他に候補者らしい人物は皆無だったもの。そんな中、H候補に160万人もの都民が投票したなんて信じられないよ。参議院選の民主党R候補の170万票もゲンナリしたが、あれは平時でのもの。今は国難ともいえる緊急事態。それでも東京都民は目を覚まさない。もう東京で暮らすのが嫌になったよ」。
先日、支援者の一人で医療機器を扱う会社の某社長は、私アルファード号にこう呟き、「世も末だ」と嘆いた。
 
 「花見は自粛すべきだ」、「節電には、パチンコ、清涼飲料の自動販売機の見直しを」と言った一連の石原知事の発言は、一部で物議を醸した。確かに言葉を額面どおりとらえれば、反発を受けかねない。しかし、その真意を考えると、どうだろうか。非難覚悟で、国民に自制の念をこれほど強いメッセージとして発信できる政治家は、日本中探しても他に見当たらない。
 「桜は、静かに一本の木をじっくり眺めるのが楽しい」。文豪・故池波正太郎先生は、こんなふうに書いている。「被災を受けた同朋のことを思えば、馬鹿っ騒ぎなどできるか」と言う見識ほど正論はない。だからと言って「花見をするな」と知事は言っていない。花を愛するのが花見なのか、馬鹿っ騒ぎで酒を飲むのが花見なのか、楽しみ方はいくらでもある。
 「パチンコや自販機を規制すれば、影響を受ける事業所が出てくる」と、前出のR大臣は、噛みついた。しかし、合法、違法を問わず、物事の規制にはそれなりの犠牲が付きものだ。大臣が無知、無能にも切り刻んだ事業仕分け、公共事業は、いったいどれだけの事業所、国民生活を犠牲にしたのか。貴女の知名度は、その上にのし上がったのではないのか。昔は一玉、一玉指で弾いてパチンコを楽しんだものだ。粉末を溶いてジュースを作ったり、駄菓子屋でラムネを買い求めた。それで、何の不自由も感じなかったし、いや、今よりもっと楽しく有り難く思ったかしれない。知事が言うように、やっぱり「日本人は思いあがっている」とつくづく思う。

 さて、東日本大震災復興策の青写真を検討する政府の「復興構想会議」が、遅まきながら始まった。この会議の位置づけがどうなのか。被災県の知事は別として、行政府の実務者を欠いた学者などの専門家が作るものを、どう現実に移していくのか。震災復興は行政の手で行わなければ出来ないことが多い。理論派ばかりの頭でっかちでは二重手間になりそうな気もしないではない。絵に描いた餅にならないよう祈りたい。

 ところで、前出の某社長は、帰り際にこんな話をしてくれた。
 「昔、中国の友人と折半で資金を出し合い蟹の養殖に手を出したんだ。順調に育ったんだけど、出荷を目前にして、ごっそり盗まれた。悔しくて呆然としたよ。すると、その相棒が『他の仕事で儲けがあったから』と、親切にも私の出資分を出してくれた。嬉しかったね。華僑と仕事をする時は注意が必要だなんて言われたけど、そんなことはない、優しい中国人はいるんだ、本当にそう思ったんだ、その時は…。ところが、後で調べてみたら、どうだったと思う。何と、蟹は盗まれたんではなくその相棒が俺に黙って売却したらしいんだ。やられたと思ったが後の祭り。散々だったよ。恨んだな。それでも元金だけは返してくれたことをどう思えばいいのか考えた。都知事選の結果は、あの時以来のショックだったな」。
 したたかに生きることは、時に必要なのかもしれない。