志と夢

  大型連休が終了、国会は第一次補正予算を成立させ東日本大震災の復興に向け、いよいよ正念場を迎える。依然として気掛かりなのは、東京電力福島第一原子力発電所の事故。長期戦になりそうだが、現場関係者の献身的な愛国心と粘り強い努力は、必ず祖国を救済してくれるものと信じている。
 
  「政治家に求められるのは、志と夢を語れること」、東京大学教授の山内昌之先生は先日のテレビ番組で、こんなふうに語っていた。国難とも言えるこの危機に、国民の政治家に対する不信感は強い。

 我が国の政治家の危機管理能力の欠如が問われているのだが、これは今に始まったことではない。憲法改正や安全保障、領土問題など、戦後日本の多くの政治家の対応は常に場当たり的な謝罪と逃げ腰の連続で、真の独立国家として自立したものとはとても言えなかった(もちろん自民党に大きな責任があるのだが)。しかし考えてみれば、国民も政治に何を求め、何を基準に政治家を選んできたのかと言えば、随分と怪しいものだ。経済優先、国益より個人の利益、所得の再配分、一国平和主義など国民が政治家に求めて来たものは危機管理とはかけ離れたものばかりではなかったか。その中で選ばれ、育った政治家に危機意識が欠けていたとしても、それは国民意識が反映されたものとは言えないだろうか。「志と夢」。この機会にもう一度、政治家を選ぶ意識を皆さんに考えていただきたい。
 
 菅直人総理は、中部電力に浜岡原子力発電所の運転停止を要請した。この地域は、マグニチュード8程度の地震発生確率が今後30年以内で87%に上ると政府の地震調査委員会が示している。このことを考えれば、危機管理として、まずは止めることが最優先という総理の判断は、なんと超珍しい「英断」だと思われた…(少なくとも私アルファードは、そう思った)。が、世論からは「運転停止後の見通しを示さない場当たり的な対応」とか、「予めの責任逃れ」だとか予想以上に厳しい声が浴びせられた。日頃の行いが行いだけに、何をやってもダメってことなのかな。生まれて初めて菅直人先生にチヨッピリ同情した。