戦後レジームからの脱却

 EUの景気の不透明さに加え、米国のデフォルト、債券暴落の不安からか急速な円高が襲って来た。ただでさえ地震、津波、原発事故に加え、エネルギー不足、食の不安、集中豪雨など次々に押し寄せる国難の中で復興を目指す我が国には、またひとつ頭の痛い材料が加わった格好だ。

 さて菅政権。いまさら、非難することすらアホらしく思えてくる。そもそも、国民からの信頼をまったく失っても開き直る頭(かしら)も頭だが、己の保身を優先するばかりに猫の首に鈴さえ付けられない上層部、兵隊たちは、考えようでは頭よりももっと罪は重い。今ここに至って、マニフェスト変更の賛否、増税の良し悪しで党内抗争している場合か。元々民主党政権の公約の大義は、予算の組み替えで16兆円余りの財源が確保できることにあったはずだ。それがバラ撒きマニフェストを実行に移せる唯一の言い訳だった。そして大多数の国民はそれに騙された。我が国の悲劇の一端は、ここから始まっていたんじゃあないか。

 「いや、民主党そのものの体質に大きな原因がある」と、オヤジ(我が主人、衛藤晟一参議院議員)は言う。
 「市民運動、左翼運動出身者の基本的考えは、地域であり市民なんだ。国家や国民という大切な視点が欠落している。確かに地域や市民と言う言葉は、平和で平等な響きがあり、一方国家、国民という言葉には戦闘的で軍事的なイメージを受ける人が多いだろう。これは戦後の我が国の教育に大きな問題があるのだが、その話は別として、じゃあ今我が国が対峙している国難の数々は、地域、市民の問題で解決できることだろうか。民主党の一番欠けているのは国家観だと思う」。

 「戦後の日本は民主主義国家として大きな経済発展を遂げた。一方失ってはいけない大きなものが崩れていってしまっているようにも思う。自主憲法の制定、領土問題、教育問題などどの問題一つとってみても本来の独立国家の有るべき姿としては極めて疑わしいのが我が国の現状だ。自分だけ良ければそれで良いといった一国平和主義、何かと言えば権利ばかりを主張し、挙句に後始末だけは国家に押し付ける。そういった意味では戦後、我が国が歩んだ民主主義の大成が、ひょっとして皮肉なことに今の民主党を作ってしまったのかもしれない。もしそうならば、その一端を担いだ自民党の責任も大きいな」。オヤジの口調は重い。

 先日の創生「日本」東京研修会で挨拶に立った安倍晋三会長は、自らの主張する「戦後レジームからの脱却」というフレーズに触れ、次のように話した。
 「福島第一原発では、何とかしようと被爆覚悟で自衛隊や消防、警察や現地の職員の皆さんが任務を遂行した。多くの日本人は、その姿に胸を熱くした。戦後私たちは、価値の基準を損得に置いて来たのではないか。学校でも人のために、国のために、命を懸けるのは馬鹿だ、という考えが覆っていた。彼らの行動は、損得を超える価値があることを示したのではないか。それは、家族や郷土やかけがえのない祖国を守るためだ。時には、命を懸ける人がいなければ、大切な家族や郷土や祖国を守ることが出来ないという事実を、彼らは示した。戦後レジームからの脱却とは、突き詰めて言えば、命を懸けても守るべき価値の再発見・再認識ではないかと思う。子供たちに、日本の素晴らしさ、守るべき価値を教えていきたい」と。
 捨てる身を持たない民主党議員は、何と聴くだろうか。